沈黙ほど雄弁。
そんなことしてなんになるのか。
さあ、知らないし、まあ、日本一でも目指そうか。そんな気持ちになったとき夏は過ぎ、秋になっていた。
だが、夏が終わった気になれない。暑い。心の熱量に変換できないだろうか。夏、冬は秋を恋焦がれてしまう。
春は駄目なのかと問われれば、何か、こう、あふれる生命力がむさくるしい。秋はほどよい生命力だ。それで恋焦がれた秋になったわけだが、はてさてどうしましょうか。蛙化現象に気をつけつつ、秋とお付き合いいたします。
どうかよろしく、お秋様。
休日に自転車で山に行く。目的は気分転換と人気のない場所で流星錘を振り回すためだ。
流星錘というの中国の武器で、長い縄の先に金属製の重りがついており、それを遠心力を使ってぶんぶん振り回す。いつも行く山には頂上へ行くまでの道がしっかり整備されており、その途中の見晴らしの良い場所に木製の机と椅子が設置されている。ほどほどの広さがあり、整備されてるわりにはめったに人が通らないので、この場所で振り回している。
いつものように振り回していると、何か気配がする。振り返ってみると大きな猪がこちらを見ていた。
だが私は猪には興味が無いので、ぷいっと顔を逸らしてぶんぶん振り回す動作に没頭する。
猪もまた、ぷいっと顔を逸らして、のそのそと歩き始める。
ぶんぶん振り回す私。
のそのそ歩く猪。
私の時間。
猪の時間。
私は私。
あなたはあなた。
私には時間を止める力があるらしい。
なんとはなしに世間話をしていた人にそう告げられた。下っ腹にぐぐっと力をこめて意識するだけでほんの数秒、時間が止まっているらしい。らしいというのは私には知覚できないからだ。
話しを聞いていると、その人はどうやら知覚はできるが止まった時間内を動けるわけではないらしく、その数秒間、動けなくなるそうだ。知覚できる人々にとっては、はた迷惑な能力である。気づかないうちに、時を止めていたりしないだろうか。心配である。
まあ、いきなり「時を止めるんじゃねぇ!」と怒られたら誠実に対応しとこう。
深夜3時に自転車を漕いでいる。
車も走らず、しん、としていて車輪の音だけ鳴っている。まるで貸し切りだ。
だが、貸し切りのようであるだけで、そうでないので前方から何か喋りながら二人組が歩いてくる。
声がよく響いている。まるで音楽堂だ。
しばらく漕いでいると目の前に交番が見えてきた。
会社帰り風の男と警察官が言い争っている。職務質問に対して男が怒っているようだ。だが如何せん怪しさ満点である。まるで寸劇だ。
帰宅するころには夜は去っていた。