お題:雫
私が一瞬、ほんの一瞬だけ目をそらしてしまっただけで、今まで積み上げてきたものがすべて失われてしまった。
積み上げるのには、とてつもない努力と時間とアイデアを注いできたのに。
どれだけ雫のような涙を流しても、全てはもう、取り返せないのだ。
思い出も記録も保存していなかった。ましてや形などかけらも。
軽く見ていたのだ。
本当に少しだけ目を離すことで失われるなどと。
どんなに泣いても、時間も努力もアイデアも戻ってこない。
また一から積み上げていくには、あまりにも辛くて。
かつて築いてきたものを、もう取り戻せない現実を受け入れるのが難しくて。
他(ゲームを立ち上げた)に浮気するんじゃなかった。
執筆中に他のアプリを開くんじゃなかったと。
後悔してももう遅いのだ……。
―――――
多分一度は経験あると思います。
ちょっと他のアプリを立ち上げて、ココに戻ってきた時に、せっかく書いたものがすべて消えているということが……。
お題:何もいらない
俺は今、何もいらないと強がっている。
あと少し、あと少しだけなんだ。
あと少し我慢すればいいだけのことなんだけど……
分かってる。俺のこの思いが、願いが不条理なことはわかっている。
俺はカレンダーと財布を見ながら、何度もため息を付いた。
そんなときは兄さんの顔がよぎる。
だけど、どんなに乞い願っても、兄さんへこの願いは届かない。届いたところで、決して受け入れられるはずのない願いだから。
だからもう、何も期待しないと。
言い聞かせても我慢できない思いを抱きながら、午後から授業の俺は、朝10時頃に震える手で兄貴のドアをノックした。応答はまったくない。
よく考えたら、兄さんは出勤していた。そりゃいないよな。
俺は空きっ腹を抱えて午後の講義に出るのだった。
……ここのところ俺は、兄さんの顔を思い出しては、顔を見ては、何度もため息を付いている。
決して無理とわかっていながら、それでも期待してしまう自分が苦しい。
言い出せない自分が、とても苦しい。
そんな思いを抱いて2日後。
夕食を食べているときに、兄さんが俺の名を呼んだ。
「どうしたんだ。ここのところ俺の顔を見ては悩んでいるように見えるのだが、何か言いたいことがあるのか?」
「うっ」
俺は慌てて首を振った。
「それなら良いのだが」
兄さんはそう言うと、再び食事を始める。
食事の間中、俺達の合間に嫌な沈黙が落ちる。
しばらく続いた沈黙を破ったのは兄だった。
「本当に、何もないのか?」
兄さんが、うつむいている俺に向かって名前を呼んだ。
ドキリ。
俺の心臓は高鳴った。
兄の顔を見ることが出来なくて顔を上げられない。兄さんは一体どんな顔をしているのだろう。それがとても怖かった。
その時が来たのだと、覚悟していた。
兄さんに、この思いはすでに届いていたのだろうと思って、俺はぎゅっと目をつむった。
もう、黙ってはいられなかった。
「兄さん、俺はもう兄さんからは、今は何もいらない……返せないから。だから借金の返済だけは待ってほしいんだ」
「そうか。分かった」
兄はあっさり俺の願いを聞き入れてくれた。
俺の胸のつかえが降りて、ホッとしていると兄が続けた。
「今日はボーナスが入ったからお前が欲しがっていた財布を買ったのだが、俺からは何もいらないようだな。ならば俺が使うことにしよう」
「えっ」
それとこれとは全然別だから!!
待ってー!!
何もいらないなんてそんなことないから!!
俺は兄さんの言葉の取り消しを乞い願い、だいぶご機嫌を取った後、欲しかった財布を貰ったのだった。
もしも未来を見れるなら
僕は何を見るのだろう
貴女に会うのが楽しみで
ずっと会えるのを待ってます
貴女の震える声を聞き
僕は覚悟を決めました
僕には貴女が全てでも
貴女は僕を愛せない
こんな未来は見たくなかった
貴女に愛されないことも
さよならさえも言えないまま
黙って去っていくことも
お題:もしも未来を見れるなら
昔々あるところに
将来を誓った ある二人がいました ある日の
夜中の白く眩しく 輝く太陽と月の中で
くちづけをかわし
のりとを交わしました
正式なめおととなった 二人は
重ねた手を握りしめて
いつしか 世界の中に溶けてしまいました
そうして
二人を形作っていた 世界は
消えてしまいました
お題:無色の世界
お題 桜散る
バス停までうつむいて歩いていると、地面に散っている桜の花びらが目に入った。
先日の雨で地面が濡れ、その上を人が歩いていったからか、花びらが道路の上に張り付いている。
それを見て初めて、この時期がちょうど桜のシーズンだということに気がついた。
頭の上を見上げると、すでに葉が出始めている。この桜の道で満開の桜を見るのは、おそらく来年の今頃だろう。
でも、ここに来ることがあればだけど。
ここは通勤路だった。
でも、朝は5時出勤、退勤は11時。
週に6.5日出勤という、そんな日々が続いてはや一年半。一度も桜のことを考える暇もなかった。
そんな花見のはの字もない一年を過ごした結果、体がついて行かなくなり、結局退職した。
だからこの通勤路を、もう歩くことはない。
これから私はここから離れ、地方でゆっくり療養することにしたから。
地方に行けば、今度は落ち着いて満開の桜を見ることができるかと楽しみにしながら、新幹線の駅に向かうバスに乗る。
あの葉桜は、もう見えなくなった。