【手ぶくろ】
少し形が歪で、昔好きだった色だけど今はあんまり好きではない色の手ぶくろ。
だけど、好きだった色まだ覚えててくれたんだ。それだけで温かく感じるのは何故だろうか?
久しぶりに帰省したのに、ぴったりのサイズで用意されていた。
小さいときは成長が早くて毎年毎年編んでくれてた昔が懐かしい。
あの頃は皆にバカにされて一時期嫌がってたっけ?でも本当は、母さんが作ってくれて一番嬉しかった。だからバカにしてくるやつとケンカして帰ってきたこともあったな。
ケンカしてムカムカしながら帰ってきて無言でそのまま部屋に入っても、必ず部屋のドアの前に救急箱と「大丈夫?いじめられてない?」っていう紙が添えられてたな。母さんはずっと心配してくれてた。
でも、大人になった今なら分かる。母さんの手袋の良さを分からないやつなんか放っておけばいいだけなのに。無駄に心配させちゃったな……。
母さんの手袋はな、温かいんだよ。母は不器用なのに、喜んでくれるかと思って毎年毎年編んでくれてた。我が子が寒くないようにと心を込めて不器用なのに編んでくれる。それは今も変わらない。帰省する回数増やそうか。もっと親孝行しないとな……。あと、好きな色も変わったってことも言わないとな……。
【優越感、劣等感】
僕はずっと皆より劣っていると感じている。
皆は当たり前に出来るのにどうして僕だけ出来ないのだ。
ずっとそんなときばっかりだ。
僕が人より優れてるって自信を持って言えるものは何もない。そもそも自分自信にさえ自信なんてものもない。
別に幼いときから親とか大人達に、他人と比較されていたわけではない。ただ、自分で、他人と比較してしまって、自分を縛り付けている。それは分かっている。
だけど、どこか特に兄には本当に劣っていて自分が兄弟でいることが申し訳ない気持ちがいっぱいだ。自慢の兄であると言いたい気持ちと同時に、兄がいる。兄はこういう人だと言えない自分がいる。
兄に劣るまいと頑張ってるが全く追いつかない。差が開くばかりだ。余計に自分はダメな人間だと思ってしまう。「人と比べなくていいよ」そう親は言う。でもごめん、僕もそうしたいけどそこにしか目が行かないのだ。自分が出来ていることを毎日褒めていくのがいいと聞く。やろうとしているが、出来たって自分で褒めるものが無くて毎日困っている。
今度からは自分の弱さを認められて偉いと言うようにしようか……?
【これまでずっと】
結局タイミング何だよね。と誰かは言う。
だけれど本当にタイミングだけなのだろうか。日々少しずつ不安なこと、嫌なこと、辛いことが重なっていく。
少しずつ吐き出したりリフレッシュしたりして逃がしているかもしれないけれど実はそれはただ、その時だけ気分を変えているだけで実際にはそれらは消えていないのかもしれない。だからそれが積み重なって積み重なって、自分の抱えられる容量から溢れた時に何かの行動に移るのかなと思う。
それが、誰かに相談するときなのかもしれないし、一人暮しするときなのかもしれないし、仕事を辞めるときなのかもしれないし、転職するときなのかもしれない。どんな行動に移すのかは、自分の環境にもよるし、周りのサポートがあるのかによっても変わると思う。もちろん自分の体調にもよるだろうけどね。
だけどね、辛い環境をその状態を変化させる。つまり、行動に移す時にも勇気が必要なんだよ。
人間は変化に敏感だ。そして、人間は変化を嫌う。
変化を嫌っている人間は、より勇気がいるのだ。
もちろん、今後のことも考えるだろうし、どう相手に思われるだろうか。この時期でいいのか。いや、本当はもう少し頑張れるのではないか。と悩みが尽きない。そんな中での決断というのは早まってはいけない。だけれど、もう、これまでそれだけ頑張ってきたんだよね。そう行動するに至るまで頑張ってきたものがあったんだよね。
それを、まだ頑張れとは言えない。周りはもちろん気づいてるときもある。だけど誰も、これまで頑張ってきたあなたを頑張ったねと褒めてくれもしない。あなたを庇ってくれないかもしれない。あなたを肯定してくれないかもしれない。
でも、それは、周りもまた自分のことしか考えられていないのだ。それだけ必死なのだ。自分が標的にならなければいい。自分が安全な位置に居たらいい。変化を嫌う人間だからそれを乱そうとする人間を排除しようとする。それが所謂いじめにも繋がる。
人間は誰かの為にと考えて行動しようとするが本能的に優先順位は自分が先になる。防衛本能というものにも近いのかもしれない。本人以外はただの傍観者になるか、非難する側になるか、心に少し余裕がある人はサポートする側になるかだ。サポートするべき位置に居る人の周りの環境にもよるのかもしれないとも思う。だから周りのサポートが薄いとかは本来誰にも咎められないものなのだ。
結局それら全てが重なって起こるもの。
ということは、やっぱりそれはタイミングなのかもしれない。
【たとえ間違いだったとしても】
生まれてきてごめんね……。間違いで僕なんかが生まれちゃったんだよね。僕じゃない子が良かったよね。僕の代わりなんかいくらでもいたはずなのだから。
何度も言った。その言葉が枷になるとは知らずに。
何度も言ったその言葉は自分の首を絞めることになる。
その代わりになる予定だった人の人生まで背負わなくてはという義務の枷。それは、いつどんなときも外せなくなった。あるとき「その代わりになる人はどんなことをしたかっただろう?」そう考えるようになってあらゆる選択や行動をし始めた。どんどん自分を見失い、心は代わりになる予定だった人が主で、若干自分。身体(器)は自分というように分離を始めた。身体は自分のままだから嫌なことと認識すると身体に異変が出る。だが、もちろんコントロールなんて出来ない。それが本来の自分なのだから。
そうなってほしくない。だから間違いでって思っている人に伝えたい。
あなたの代わりに生まれてくる可能性だった人が確かに居たかもしれない。でも、その人格と器はこの世界に今居なくて代わりにあなたという人格とその器はここで生きているのだから。
だから、たとえ間違いだったとしてもあなたが産まれてきたってことは紛れもない事実なんだよ。なら、その分生きなくちゃ。誕生出来なかったその人格と器のためにもさ。
だけどその分の人生を背負えとは言わない。自分をもっと大切にしてあげて。誰のでもない誰にも邪魔なんか出来ないあなただけの人生なんだよ。
なら、肩の力抜いて気楽に好きなことして楽しんで、自分が思うがまま自由に生きていけたら最高じゃない?自分の人生、楽しんだもん勝ちだよ?
【遠くの街へ】
いつも、ふらりと何処かに行きたくなる。誰も知らない、遠く遠く離れた場所に。
何も考えず、ただただ、ひたすら遠くに行きたい。
遠くに行って、独りでポツンと座っていたい。空をただただ、眺めていたい。変わりゆく雲の流れと時間の経過を感じながら。ただただ、朝日、日差し、夕日、星空を全身で感じたい。