【私の当たり前】
皆の当たり前を私には出来ない。朝起きてご飯食べて行ってきますって仕事に行けない。
毎朝、起きたらすぐに吐き気が伴う。実際に吐くことは少ないが体調が良いっていうことがほとんどない。この前よりは体調いいかな?とかそれよりは悪いなとか……。
それでも薬も飲まないとダメだし、ご飯は食べないといけないから何とか朝食を食べ薬を飲む。そして支度をしてるけどどんどん吐き気は強くなる。吐き気が強くなると動悸が激しくなり心臓が飛び出るんじゃないか?ってぐらい動悸が凄いが、仕事に何とか行く。
仕事をするのが当たり前ではないのだ。私にとっては仕事に行けて偉い。よく行けたね。1日ももったの?凄いね!が私の日常。甘えと捉えられるかもしれないし、
体調悪いとき、アピールしてる?って思うかもしれないが、アピールじゃない……。なら代わってくれ。結構普通にキツいからな……。
1ヶ月休みなく行けてるのめちゃくちゃ凄すぎなんですが?
「頑張って」→『いや、かなり頑張ってるんですよ……。』
「辞めるって言わない限りはたぶん平気だよ」→『すみません、もう辞めたいんですが。』
「またそうやって仕事辞めようとしてる?そうやって自分は病気ですってアピールしたいの?別に仕事に慣れてきても気持ち悪いふりしなくていいんだよ。頑張ってること知ってるし」
『吐き気止まらないんです。好きでやってるわけない』
『なら、変わってくれよあんたの元気な心と体を私にくれ。その考え方もくれ。』これが切実な願いであり何にも理解してくれてないよなって感じてしまう。
「働いてるのが偉いんじゃないからな!当たり前なんだぞ!」
『その当たり前が今まで出来ていなかった人間なんです。だからそれを今頑張っているんです。』
だから静かに見守っててください。このやり取りも含めて私の日常。
【1年間を振り返る】
今年は『老い』を感じる1年だった。
父が還暦、父方の祖母は骨折をして病院で入院後施設に入居。母方の祖父は膵炎で入院、祖母も心臓の病気が少し気になり始めたりと、老いを感じる。
祖父は病院嫌いで祖母のことばかり心配している。そんな祖父の膵炎での入院はかなり大変だった。内視鏡での手術もどうにか説得させ成功した。毎日大声で怒る祖父のため毎日見舞いは大丈夫になった。毎日行くが聞くことはいつも一緒。「お母さん(祖母)は?大丈夫?」「いつ帰れるの?」無事に退院してきたときにはもう嫌だと言っていた。
そんな祖父が退院から少し経ったとある日、「僕は目が見えないんだよ」と言った。いつものようにまた眼鏡を掛けていないからか、白内障だからかと思っていたが、どうも様子が違う。右目の焦点が合わないのだ。右目が確実に私の指を追っていなかった。驚愕だった。ずっと祖父は右は真っ暗な世界で過ごしていた。つまり左目だけ酷使してしまう。その為頭痛や、目の疲れ、吐き気などを訴え始めた。目が見えないというのは脳の病気の可能性も考えたが病院からは気にしすぎと言われた。徐々に歩ける距離も短くなってきた。暗い状態で歩くのは難しい。慣れた空間(自宅)なら間取りと物の位置が把握してあるためある程度歩くことは出来る。だが、外となると別だ。見知らぬ空間と、音(耳もほぼ聞こえていない)もないとなると手がかりは何もなく手を繋いで歩くしかなくなる。それでも怖いものは怖いだろう。五感の内、聴覚、視覚が失われているのだから。触覚だけが頼りなのだ。それでも食欲はあるのが救いだ。食欲が無くなれば寝たきりになったり、もっと細くなり、歩けなくもなってしまうから。
ふと、師走のある日、祖父が「お母さん、春が終わってもずっと一緒にいるよね?」と祖母に聞いたそうだ。その次の日、祖母は心臓の値が悪くなっていると医師が家族にそう告げられた。祖母はハァハァするのが早くなって疲労も早いんだよねと自覚はある。また、浮腫も大きくなってきている。私は凄く怖かった。最悪な未来を想像して怖くなった。怖くて夜泣いた。
祖父は祖母のことが大好きだ。トイレに行っているときでさえ隣に居ないと「お母さんは?お母さんどこ行った?」と聞いてくる。どこかに出かけたときにもだ。祖母が先に逝ってしまったら祖父はどうなってしまうのだろうと。祖父にとってはもしかしたら死ぬことよりもしかしたら辛いことかもしれない。
今までは祖父が先に亡くなるだろうと思っていてそんなことは微塵も考えなかった。いざ、心臓に病気を持っている祖母を考えるとそんな最悪な未来いや、必ず起きるのはどちらかが先に亡くなり、どちらかがもう少し先を生きるということは確定の未来なのだ。片方を想いながら残されたもう少しだけ先を生きるという方は辛いものだ。
今までほぼ無縁だったが、初めて老いというものを感じた1年だったと思う。
そして、老いというのは孤独で寂しいものだ。とも思う。
【手ぶくろ】
少し形が歪で、昔好きだった色だけど今はあんまり好きではない色の手ぶくろ。
だけど、好きだった色まだ覚えててくれたんだ。それだけで温かく感じるのは何故だろうか?
久しぶりに帰省したのに、ぴったりのサイズで用意されていた。
小さいときは成長が早くて毎年毎年編んでくれてた昔が懐かしい。
あの頃は皆にバカにされて一時期嫌がってたっけ?でも本当は、母さんが作ってくれて一番嬉しかった。だからバカにしてくるやつとケンカして帰ってきたこともあったな。
ケンカしてムカムカしながら帰ってきて無言でそのまま部屋に入っても、必ず部屋のドアの前に救急箱と「大丈夫?いじめられてない?」っていう紙が添えられてたな。母さんはずっと心配してくれてた。
でも、大人になった今なら分かる。母さんの手袋の良さを分からないやつなんか放っておけばいいだけなのに。無駄に心配させちゃったな……。
母さんの手袋はな、温かいんだよ。母は不器用なのに、喜んでくれるかと思って毎年毎年編んでくれてた。我が子が寒くないようにと心を込めて不器用なのに編んでくれる。それは今も変わらない。帰省する回数増やそうか。もっと親孝行しないとな……。あと、好きな色も変わったってことも言わないとな……。
【優越感、劣等感】
僕はずっと皆より劣っていると感じている。
皆は当たり前に出来るのにどうして僕だけ出来ないのだ。
ずっとそんなときばっかりだ。
僕が人より優れてるって自信を持って言えるものは何もない。そもそも自分自信にさえ自信なんてものもない。
別に幼いときから親とか大人達に、他人と比較されていたわけではない。ただ、自分で、他人と比較してしまって、自分を縛り付けている。それは分かっている。
だけど、どこか特に兄には本当に劣っていて自分が兄弟でいることが申し訳ない気持ちがいっぱいだ。自慢の兄であると言いたい気持ちと同時に、兄がいる。兄はこういう人だと言えない自分がいる。
兄に劣るまいと頑張ってるが全く追いつかない。差が開くばかりだ。余計に自分はダメな人間だと思ってしまう。「人と比べなくていいよ」そう親は言う。でもごめん、僕もそうしたいけどそこにしか目が行かないのだ。自分が出来ていることを毎日褒めていくのがいいと聞く。やろうとしているが、出来たって自分で褒めるものが無くて毎日困っている。
今度からは自分の弱さを認められて偉いと言うようにしようか……?
【これまでずっと】
結局タイミング何だよね。と誰かは言う。
だけれど本当にタイミングだけなのだろうか。日々少しずつ不安なこと、嫌なこと、辛いことが重なっていく。
少しずつ吐き出したりリフレッシュしたりして逃がしているかもしれないけれど実はそれはただ、その時だけ気分を変えているだけで実際にはそれらは消えていないのかもしれない。だからそれが積み重なって積み重なって、自分の抱えられる容量から溢れた時に何かの行動に移るのかなと思う。
それが、誰かに相談するときなのかもしれないし、一人暮しするときなのかもしれないし、仕事を辞めるときなのかもしれないし、転職するときなのかもしれない。どんな行動に移すのかは、自分の環境にもよるし、周りのサポートがあるのかによっても変わると思う。もちろん自分の体調にもよるだろうけどね。
だけどね、辛い環境をその状態を変化させる。つまり、行動に移す時にも勇気が必要なんだよ。
人間は変化に敏感だ。そして、人間は変化を嫌う。
変化を嫌っている人間は、より勇気がいるのだ。
もちろん、今後のことも考えるだろうし、どう相手に思われるだろうか。この時期でいいのか。いや、本当はもう少し頑張れるのではないか。と悩みが尽きない。そんな中での決断というのは早まってはいけない。だけれど、もう、これまでそれだけ頑張ってきたんだよね。そう行動するに至るまで頑張ってきたものがあったんだよね。
それを、まだ頑張れとは言えない。周りはもちろん気づいてるときもある。だけど誰も、これまで頑張ってきたあなたを頑張ったねと褒めてくれもしない。あなたを庇ってくれないかもしれない。あなたを肯定してくれないかもしれない。
でも、それは、周りもまた自分のことしか考えられていないのだ。それだけ必死なのだ。自分が標的にならなければいい。自分が安全な位置に居たらいい。変化を嫌う人間だからそれを乱そうとする人間を排除しようとする。それが所謂いじめにも繋がる。
人間は誰かの為にと考えて行動しようとするが本能的に優先順位は自分が先になる。防衛本能というものにも近いのかもしれない。本人以外はただの傍観者になるか、非難する側になるか、心に少し余裕がある人はサポートする側になるかだ。サポートするべき位置に居る人の周りの環境にもよるのかもしれないとも思う。だから周りのサポートが薄いとかは本来誰にも咎められないものなのだ。
結局それら全てが重なって起こるもの。
ということは、やっぱりそれはタイミングなのかもしれない。