【言い出せなかった「」】
苦しくて凄く辛くてそれでも「もう専門学校辞めたい」って言い出せなかった。
一度体調を崩してその決断のときがきた。私にも言い出せるチャンスが回ってきた。でも「辞めたい」とは言えなかった。
後悔しない道を選ばなければということの重たい重圧。勉強をするからという甘い理由でバイトすらしていなかったからすぐに奨学金を返していくという怖さがまず先に来た。そして私の存在証明で専門学校に通いたいって言っていたから。
兄が医師で私は、昔からずっと自分に劣等感を覚えていて、自分が大嫌いだった。自分が生まれてきた意味は何のか。自分に価値はない。自分は居なくてもいい人間だと思っているから。だから私は居るんだ!生きてていいんだ!って証明が欲しかった。それらは今も変わっていない。
結果、今でもずっとあの選択が正しかったのか分からない。
それでもその時から必死で勉強して国家資格に合格できた。それで働き始めたが、すぐに肩を壊してわずか3ヶ月で挫折。場所を変えればと病院〜デイサービスへと職場を変えるも、自分のメンタルの弱さ、自分の筋力の無さ、死への恐怖からわずか3ヶ月で2回目の挫折。
そこからはまたさらなる決断のときだった。せっかく頑張ってとった資格。それをこのままこの資格を活かしてまた働くのか、資格を無視して別の道へ進むか。本当に悩み続けた。だって私にとってその資格は自分の存在証明だったから。価値だったから。
でも、そのときは言い出せた「違う道に進む」と。
だから今は全く畑違いの場所で働いている。もちろん給料はあの時とは全く違ってかなり低い。
まぁ、そこも今自分から「辞める」と職場に言い出すか言い出さないかの瀬戸際なのだが……。これ以上は私が壊れると思って辞めたいとは思ってはいる。それは親にも伝えた。でも、またここでも出てくるのが奨学金だ。あいつはいつまで経っても存在が大きい。何度もそいつに邪魔をされる。
あの時に続けてしまったがために額が大きくなった。その返済に追われているんだから本当に言い出せなかったのを後悔もしている。
それでも、続けていたから彼氏に告白できたし、祖父が亡くなった時に、初めて父があの選択は間違っていなかったんだよ。凄いことだったんだよって人生で初めて褒められた。だから祖父に寄り添ってリハビリしたり、母の職場でぎっくり腰で歩けない人に声を掛け、介助できたんでしょ。と言われ面映ゆい気持ちになった。
【夏の忘れ物を探しに】
家でダラダラ。
朝もゆっくり起きてお昼と朝ご飯が一緒ぐらいまで寝る。
学校のプールで泳ぐ。
嫌だけど学校で朝勉強。
川遊び冷たくて気持ちいい。魚取り。
朝早く起きて昆虫採取。
面倒くさいけどハンコ押してもらうために行っていたラジオ体操。
家族でお出かけや旅行。
普段会えない親戚で集まりでの緊張。
大きいスイカを皆で食べる。
扇風機だけで過ごす。
風鈴の音で涼しかった。
そうめんばかりの毎日だけど食欲ない時はそれが一番。
祭りで大はしゃぎ。
秘密基地作り。
両親と毎年考える自由研究。
ギリギリになってやり始めるから終わらない宿題。それを手伝ってもらったり。
なかなか空白が埋まらない読書感想文。
絵が下手でほぼ親が描いただろうというあからさまな絵。
図書館で涼む。
図書館で工作と自由研究のアイデア探し。
あの頃の夏は今どこへ?
【言葉にならないもの】
私の診断名は[身体表現性障害、うつ状態]。
言葉にうまく発せない人の場合は特に身体症状症として表れることが多いと言われています。
症状としては、力が入らない(脱力・麻痺)、筋肉の強い突っ張り、歩けない、などといった運動に関する症状や、皮膚の感覚がおかしい、見えない(一部しか見えない)、聞こえない(聞こえにくい)、といった感覚の症状が出ます。それ以外にもいろいろあります。
私の場合は、主には、常に吐き気とめまいと胃痛。
過去には、両手両足に痺れ、痛み、歩けない、筋肉が固まってしまう、お星さまキラキラと手を動かせない、手、足、腕など自由に思った通りに動かせない。聴覚過敏、手足が常に冷たい、冷や汗、動悸、震え、泣くなど。
最近、大好きだった祖父が亡くなりました。
わかりませんが最近だとこんな症状です。
朝、目は覚めても身体が動かない。マッサージやストレッチをすれば何とか這ってリビングへ行ける、ずり這いしながら支度をし、仕事に行くというのを繰り返しています。
どんどん悪化しているのか、マッサージやストレッチを自分で出来なくなった。右半身全てが痛みで動かない。食事が物理的に喉を通らないこともあったり、眠くないのにまぶたが重たくて閉じてしまう、5分も立っていられない。座るのも背もたれがないとダメなときもあります。薬を飲めば少しは動けるので寝たきりまではいっていません。
現状、毎日症状が変化していて安定しないので、いつ起きられなくなるか、歩けなくなるか、飲めない、食べれなくなるかも分かりません。そのため、今すごく怖いです。
でもその症状が変化すること情緒も不安定なのも、それだけじいちゃんが大好きでたまらないんだ。それだけ愛していたんだ。それだけ寄り添えていたんだって自分で思うことに決めました。症状が変化すること、情緒が不安定なそんな自分を受け入れようって決めました。
明日はどうかな?
【もしも過去へいけるなら】
昨日、祖父が亡くなった。生きてるときにもっと会いたかった。 母にもっと会わせてあげさせたかった。
親族関係が悪くてなかなか会えなかった。
でもね、いっ〜ぱい動画撮っておいたんだ〜。だからねみんなも写真も大事だけど動画も撮っておきな〜。声も動きも残るから。
【心だけ、逃避行】
あとで書くのでメモです