お題:小さな命
『地球飼育セット』
小学校の自由研究で地球を飼育することにした。
夏休みが始まってしばらく経っても研究テーマが決まらないので、パパが東急ハンズで地球を買ってきたのだ。
箱に仕舞われた地球は生まれたてで、海はまだ無く熱々の岩石の塊に見えた。
パパはバーベキュー用のトングでそっと地球を取り出し、耐熱用水槽の中に入れた。
「地球だって生き物なんだから、ちゃんと面倒をみるんだぞ」
パパはそう言って満足気に水槽の縁をなぞった。
僕は頷いたものの、あまり興味を持てなかった。
だって地球の世話なんて、ほとんどすることがないじゃないか。
せっかく買って来た地球も、数日後にはリビングの置物と化していた。
僕が世話をしなくても地球はすくすくと育った。
時間が大体1千億倍で進むので、気付いたら地球の表面は海になり大陸が出来ていた。
僕が興味を失った飼育セットを一番熱心に観察したのはママだった。
ママは飼育セットに付属されていた観察望遠鏡を毎朝覗き、生物の進化を眺めるのが日課になっているようだった。
勿論、僕の自由研究なので記録は自分でとらなければいけない。
パパは自分の役目を全うしたと思っているらしく口出ししてこなかったが、ママは違った。
こんなにも日々変化しているのだから、ちゃんと書きなさい。
今朝、魚類が両生類に進化したのに何故書き漏らしてるの、とかなんとか。
地球飼育セットには人工の太陽もセットで付いていた。
地球の発育には程よい陽の光が必要らしく、距離を間違えると氷河期になったり蒸し焼きになってしまったりする。
なので太陽もまた固定で、窓際のサボテンの横に置くことにした。
サボテンは暑さに強いらしく、太陽の横でも平気な様だった。
ある日、僕の友達が遊びに来た時のこと。
その友達は、最初こそ地球をまじまじと眺めていたがすぐに興味を失くしたらしくオセロをしようと僕を誘ってきた。
「これ、机の上にあるの邪魔じゃない?」
友達は地球の水槽を指さして言った。
「でも、パパがそれ動かすなって言ってたし」
「ちょっとぐらいなら大丈夫でしょ」
迷ったが、僕はカーテンの横に水槽を移動させた。
僕のクラスでは最近オセロが流行っていて、僕ら2人のオセロの強さは拮抗していた。
その日のオセロも白熱した戦いになった。
僕は集中力の切れた友達のミスに付けこみ、紙一重で勝つことが出来た。
それからテレビゲームをし、キャッチボールをした。
僕は移動させた地球のことを、すっかり忘れてしまっていた。
思い出したのはママがパートから帰ってきてからだった。
地球は熱を帯び、すっかり赤茶けていた。
ママは見るも無残な地球を見て、顔を真っ青にしていた。
怒られるに違いないと思って僕は身構えた。
なのにママは、僕には何も言わずポロポロと涙をこぼし始めたのだ。
直にパパが帰って来た。
パパの第一声は、ああやっちまったか、という呆れ笑いだった。
そして、泣いているママの背中をポンポンと叩いた。
夏休みはまだ長いし、また買ってこれば間に合うよ、と。
ママはその手を振り払い、パパを怒鳴りつけた。
「みんな、みんな死んでしまったのよ!もう彼らは戻って来ないのよ」
僕とパパは、悲しむママの前で俯き、立ち尽くすことしか出来なかった。
お題:枯葉
『骨の魚』
枯葉が舞っている。
私は最初、そう思った。
市民病院前の遊歩道を歩いていた時のことだ。
果たして2月の下旬に枯葉が散るのか。
ひらりひらりと舞うそれは、陽光をキラリと反射して身を翻した。
「魚だ」
それは紛れもなく魚だった。
私は慎重に、水を掬う様に宙の魚を掌に収めた。
魚はまるで木の葉の様に薄かった。
正確に言うと、骨だけで出来た魚だった。
お題:今日にさよなら
「放課後の卒業式」
気付くと僕は放課後の教室に居た。
放課後というのも変な話だ。
僕は33歳で、とうの昔に学校というものを卒業している。
僕はどうやら高校時代の制服を着ているようだった。
ふと気になって自分の掌を見つめる。
腹や頭を触ってみる。どうやら僕は33歳の姿のまま制服姿で教室にいるらしい。
教室内の机にはまばらに制服姿の男女が座っている。
てんでばらばらな制服を着ており、同年代から白髪の老人まで居た。
僕は全体の人数を数えようとしたが、どうしてもうまく数えられない。多分10人程だろう。
窓から眩しいほどの夕陽が射し込んでいた。
蛍の光がどこからか聴こえてきた。
ガラガラと教室の戸が開いた。
スーツ姿の男が、入ってきた。
あれは確か、僕が通っていた高校の校長先生だ。
唐突に誰かの名前が点呼された。
ガラリと椅子を下げ、白髪の老人が立ち上がった。
制服姿の老人はやや緊張した面持ちでつかつかと歩み、校長先生の正面に立った。
校長先生が証書を掲げ、同年代とも思える老人を見つめ言った
「卒業証書。君は今日という日に満足しましたか?」
老人の掌が硬く握られているのが見えた。
一瞬躊躇った様にも見えたが、沈黙したまま会釈をし卒業証書を受け取った。
そして紙をうやうやしく丸め、再度お辞儀をし教室を出ていった。
間を置かず次の者が呼ばれた。
「今日という日に満足しましたか?」
同じことを聞かれる。
ある者は不貞腐れた様に顔をしかめ、ある者は肩を震わせ涙を流した。
しかし、皆その証書を受け取り教室を出ていった。
最後に僕が1人教室に残された。
僕の名前が呼ばれた。
先生の前に立った。
君は、と言いかけてから沈黙の間があった。
僕は先生の胸元に下げていた視線をチラと上げた。
「おじいちゃん……」
それは10年前亡くなったはずの祖父の姿だった。
祖父の表情は変わらない。
「卒業証書。君は、今日という日に満足しましたか?」
祖父が僕の顔をまじまじと見つめた。
死ぬ間際の祖父とは違う、若かりし頃の祖父だった。
向けられているのは穏やかな表情なのに、息が詰まった。
受け取って良いのか。
僕は、ちゃんと今日という日を生きたのか。
僕は俯いたまま卒業証書を受け取る。
受け取った瞬間、不意に気付く。
そうか、僕は毎日これを繰り返していたのだ。
放課後の教室に残され、何度も卒業式をしてきたのだ。
今日という日を悔やまぬ為に。
今日という日にさよならを告げに。
お題:誰よりも
『特攻隊長』
いつからだろう。
私には隊長というあだ名が付けられていた。
「隊長ってさ、いざとなったら絶対身体張ってみんなのこと守りそうだよね」
「分かる!アルマゲドンのブルース・ウィリスみたいなやつ。仲間の身代わりになって、お前は生きろとか言いそう」
同じ高校に通うクラスメート達は、私の顔を見る度にそんなことを言う。
確かに私は人よりも正義感が強いかもしれない。
いじめられている友達をかばったこともある。
けれど、なんだかモヤモヤする。
私は果たして、いつでも皆が思うような私なのだろうか。
それでも皆は言う。
「隊長って、誰よりもみんなのこと考えてるよね」
「分かる!隊長っていうか、特攻隊長って感じ」
いつからか、私のあだ名は隊長から特攻隊長に変わっていた。
私はありもしないシチュエーションを夢想するようになった。
エイリアンやテロリストが学校に攻めてきて、私は1人身体を張って犠牲になるのだ。
創作物の中で、綺麗ごととしては良いかもしれない。
でも痛いのは嫌だし、私だって死にたくない。
普通に嫌だなーと思った。
そんなことを考えていたせいか、ある日エイリアンが学校に攻めてきて全校生徒の大半が喰われた。
私とクラスメートはバリケードを張り、教室に立て籠もった。残された武器は自爆スイッチ付きのダイナマイトだけだった。
「こういうのはやっぱり、くじ引きで……」
と、クラス委員長が言いかけたところで、何故か私を見た。
そしてクラスメート全員が、じっとりと縋るような目付きで私を見た。
普通に嫌だなーと思った。
10年後の私から届いた手紙
10年前の自分に手紙を書くことになった。
勿論、未来パトロールの厳密な検閲が入るので具体的な事象について書くことは出来ない。
有馬記念の結果や宝くじのアタリナンバーを書こうとしたら、即座に連行されてしまうだろう。
ただ、あえて言っておくとそれらの情報に意味はないのだ。
時間とはひどく流動的で、一律なものではない。
未来からの干渉は、薄く波紋の様に広がり世界を作り変えてしまう。サイコロの出目は常にランダムである。
過去の自分に競馬雑誌を送りつけたとして、有馬記念でドゥデュースが勝つ保証はどこにも無いのだ。
それは兎も角として、抽象的な内容にしろ手紙を受け取った過去の自分は【今の私】とは少しだけ別の人生を歩むことになる。それは果たして是か非か。
経験上、人は5年で大きく変わり、10年で別人になりうる。
私自身を振り返ってみると、欲しいものも価値観も、10年前と今とではかなり異なっていることに気付く。
一体、この私自身はどの様に形成されてきたのか。
考えても考えても【今の私】の作り方は分からない。
身に付けたうんちくも性格も趣味嗜好も、どこから拾ってきて積み上げたのだろう。
そう考えると、急に今の自分が尊く思えてきて過去に手出しするのが怖くなる。かといって、この機会に何も書かないのは勿体無い気がする。
うんうん唸って悩んだ結果、私は1言だけ綴って投函する。
『なんとかなる』
10年前の私はホッとするだろうか、失望するだろうか。
半々かもしれない。
けれど今の私には、これが精一杯。
実は先日、10年後の私から届いた手紙にも同じことが書いてあったのだ。
もうちょっとこう、何かあるだろうとも思った。
が、10年経ってそうならば、本当にそれしか言いようが無いのだろう。
ここに書いたことはすべて、勿論仮定の話。
人は月日と共に変化する。
けれど、奥底に変わらないものがあると思えるからこそ人は明日を生きてゆけるのかもしれない。