空に向かってカメラを向ける
光は撮れないけど、逆光になるように写真を撮る。私が撮りたいのはものではなく、光なのだと思う。
でも、光そのものは撮れないから、そのリフレクションから光を想像する。そのために、レンズを空に向ける。
まさか自分にそんな日が来るとは思わなかった。それまでは、廃墟や朽ち果てたものばかり撮っていたから。
歳をとり、私自身が朽ち果ててきているから、そうでないものを求めるようになってきたのかもしれない。ないものねだり。
初めてといってもいいくらい
久しぶりに、両親の夢を見た。こんな笑顔の両親を見たのは初めてかもしれない。そして、久しぶりに実家に帰った私をもてなしてくれた。
こんな夢は今まで見たことはない。もちろん実際にはそんなことは起こらない。それはわかっている。
それでもそんな夢を見た。
そっと伝えたいことは
なんだろう。なかなか思いつかない。髪にホコリがついてるとか、襟が曲がっているとか、そういうのは、なかなか言いにくいが、伝えた方がいいのかなと思う。
しかしそれ以上に深刻なのは、歳をとるごとに、自分が言われる方になっていってることだ。襟は曲がってるし、ご飯は服にいつのまにかこぼしてるし、小さい字が読めなくなったり、寝ぐせがついてたり、携帯の場所をよく探してたり。
自分としては、優しくさりげなく人に言いたいのだが、実際のところは、周囲の人から、優しく言って欲しい。というのも、ほとんどそう言った事を言われることがないから。だいぶ時間がたって、自分で気づくしかない。おそらく周囲の人は、わかっても言わないのだろう。
なので、希望としては、そっと伝えて欲しかったりする。
未来の記憶というのは
「そんなものはない」と言って終わりそうだったが、もしかしたら、こういう場合はあるかもと思いついた。
・好きな人ができた瞬間
・欲しいものが見つかった瞬間
そんな時は、〇〇な感じになったらどうしようとか、〇〇ができたらどんなに素晴らしいだろうと、非現実的な楽しい空想で一杯になる。
おそらくそんな時は、未来は素晴らしい、こんないいエピソードができそうだから、嬉しい楽しい記憶となるに違いない!と勝手に記憶を作ってそう。
そういうのは本当に非現実的だし、人に話すと失笑されそうなこと。「頭の中お花畑だよね」とか言われそう。でもたまには、そんなお花畑に居たい時もあるのが人間じゃないかなと思う。
ココロの専門家の一派である家族療法の人たちから思う事
家族療法という心理療法があるが、有名な人たちはほとんど離婚した経験がある。また、霊が見える人も別に良い人ではない。ただ、そういう能力があるというだけで。
近年の、ココロは自分のもので、セルフコントロールをしなくてはいけないという事自体が、結構なおしつけに感じられる。そして、その要請に従えないのは、能力が低いと扱われる。
そういうのはなんか嫌だなと思いつつも、自分をコントロールして、周囲の人のせいにしないで、大人の対応ができるようになったらいいなと思う自分もいる。
他人に対しては、どんな偉そうな事を言ったり、分かったような事をわかっていても、自分の事となると、うまくいかない。
だから、自分事のうまくいかない事に対しても、しょうがない、そういう時はある、と思い直して、生活していくのが大事なのでしょう。実際はなかなかできないけど。