もう一つの物語
村の外れにある小川のほとり。
秋の夕日が木々の間から差し込み、川面が黄金色に
きらきらと輝いています。
ごんは小川の石の上にちょこんと座りながら、
兵十の家のほうをじっと見つめておりました。
「今日こそは......今日こそは兵十に会って、
ちゃんと話すんだ」
小さな黒い手をぎゅっと握りしめたごんは、兵十の家の庭先まで行くと、屋根の上に登って、静かに待ちました。しばらくすると、兵十が引き戸を開けて井戸から水を汲もうとしている姿をとらえました。
ごんは大きく息を吸い込み、思い切って声をかけます。
「兵十......、おらが栗とか松たけを持ってきてたの、
知ってるか?」
突然の呼びかけに驚いた兵十は、手に持っていた桶を落としました。しかし、目の前にいるのがあのいたずらぎつねだと知った途端、怒りが抑えられませんでした。
「お前か!最近、家の前に妙な贈り物を置いていたのは!おっかあが亡くなった後でそんなことされても、何の慰めにもならんわ!」
ごんは悲しそうに尻尾を下げて、うつむきましたが、勇気を振り絞り、言葉を続けました。
「......ごめんな、兵十。おら、おっかさんが亡くなったのも知らんかったんだ。栗や松たけを持ってきたのは、少しでも元気になってほしいと思ってたんだ」
兵十はその言葉に怒りを鎮め、ごんの瞳を真っ直ぐに見つめます。
「本当に、そんなつもりで......?」
ごんは、こくりとうなづきました。
「おら、子どもの頃からおめぇことを見てたんだ。ずっとひとりぼっちで寂しそうで......おら、友だちがほしかったんだ」
兵十はしばらく黙っていましたが、やがて、
そっと口を開きました。
「ごん、お前も寂しかったのか」
その優しい声音に、ごんはほっと息をつきました。
やっと兵十に自分を見つけてもらえたことが、何よりもうれしかったのです。
それから、ごんと兵十は徐々に打ち解けて、毎日のように一緒に過ごすようになりました。ごんがこっそり持ってきた栗や松たけを分け合ったり、小川のほとりでお互いの話を聞いたりと、まるで昔からの友達のように笑い合いました。
ある日、村の人々が兵十の家の前を通りかかり、不思議そうに尋ねました。
「おい、兵十。あの子狐がまだいるのか?
お前の畑の物を盗んだやつだろうに」
兵十はにっこりと笑いながら、こう答えました。
「いや、あいつはもう友だちさ。俺の大事な友だちなんだ」
これには村の人々も驚きましたが、兵十の良き変化を目の当たりにして、次第に彼らの関係を受け入れるようになりました。
それからも、ごんと兵十はずっと仲良く暮らし、お互いの孤独を支えながら、村の中で穏やかな日々を過ごしました。
こうしてごんは、人間と友だちになるという、自分でも想像していなかった幸せを手に入れたのでありましたとさ。
大事にしたい
自分を。
自分を重要な存在として扱ってほしい。
自分の価値を認めてほしい。
褒めてほしい。気づいてほしい。
人は自分に最も強い関心を抱いている。
だから「あなただけ」と言ってくれる人が好き。
例えば、生まれた瞬間から自分を愛してくれて
死ぬまで特別な存在として扱ってくれるお母さん。
(※例外あり)
それが満たされて初めて、人は自分のこと忘れ、
他人に意識を向けることができる。
現実でもネットでもそうだ。
他人からの「いいね」がほしい。
推しや不特定多数からの承認がほしい。
増えたとしてもこれだけでは足りない。
物欲も承認欲求も肥大化するほど自分を苦しめる。
上手くいかないと、満たされない思いを
抱えたまま他人に対して批判的になる。
認めてほしいのに、他の問題に
気を取られて自分には目を向けない。
それなのに、他人には押し付ける。
自分を好きになれないと、他人も好きになれない。
果たして自分は、人を受け入れて認めて褒めて
特別な存在として扱っているのか。
大事にしたい。
自分と、他人を。
遠い日の記憶
いったん心に焼き付けられたもので、
完全に忘れられてしまうものは何一つない
潜在意識のどこかにしっかり留まっていて、
何か大きな緊張や体調などが引き金となって
昨日の事のように鮮明に蘇ってくる
↑最近読んだ「記憶力」という本に載っていた言葉
Twitterでも似たような話を見かけた
例えば、認知症のおばあちゃんが小学校の頃に
自分をいじめてた相手の名前を口走ったり、
記憶喪失の男性が学生時代に聞いた
校歌を思い出して故郷に帰れた話だったり、
赤ん坊の頃に来た場所を見て懐かしく思ったり......
私も子どもの頃に好きだった音楽やゲーム
嫌な思い出も今でもずっと残っている
人間の脳🧠ってすごい
空を見上げて心に浮かんだこと
太陽の光と雲ひとつない青空があって、
それを眺めていられるかぎり、
どうして悲しくなれるというの?
ユダヤ系ドイツ人アンネ・フランクの言葉
死んだ後でも生き続けたいと願った彼女の日記は
今では世界中の人に知られて愛されている
長く生きないと深い言葉や作品は生み出せないと
思っていたけど、小説でも歌でも漫画でも
若くして人々の心に残る素晴らしい作品を
作る人はたくさんいる
嫌なことや悲しいことがあっても、
青空を見上げたらまた立ち直れる
そんな人間になりたいな
子供の頃は
笑うせぇるすまん
ミル姉さん
花子さんがきたの漫画
ポピーザぱフォーマー
ガラクタ通りのステイン
KAKURENBO
↑子供の頃のトラウマです