意味がないこと
人は一日に1.2万から6万回も思考を重ね、そのうち80%がネガティブなものだという話をどこかで見た
犬や猫は将来のことなんか気にせず今を生きてる
一匹で生きていかねばならない野生の猫ちゃんにとっては、寂しいという感情は不要なもの
だから親元を離れるとお母さんや兄弟のことも忘れるし、前の飼い主のこともせいぜい3年くらいしか覚えていないそうだ
過去の嫌な思い出や未来への不安など、ありもしない意味のない妄想に苦しめられている人間は、犬や猫の生き方に感銘を受けるのであった
私たちが語ったり行ったりすることの
ほとんどがムダなもの
物事は瞬く間に消え去り
完全に忘却され埋没してしまう
一部の有名人以外、みんなすぐに忘れ去られる
自分だけでなく、自分のことを覚えている人たちも、いつかはみんな死ぬ
名声も人の気持ちもあっという間に心変わりするし、貯めたお金はあの世にはもっていけない
価値があるとされるものは、
むなしくて、腐っていて取るに足らない
死は自然のプロセスであり、古いものが消え去り
新しいものが生まれる、その繰り返し
皇帝マルクス・アウレリウスの自省録やセネカなど
ストア派の思想は、仏教の諸行無常に通じるものがあり、日本人にも親しみやすい
自分も大切な人も嫌な人も過去のやらかしも、いつかはすべて消えて忘れ去られると考えたら救いのようにも感じられる。みんないなくなるんだ
頭の中であれこれ考える妄想のほとんどはすぐ忘れる意味のないことだけど、文字や言葉にして形にすることは自分にとって意味がある
一筋の光
映画「ショーシャンクの空に」を思い出す。
冤罪で逮捕された主人公が数十年もの間、壁を掘り続け、糞尿だらけ配管をくぐり抜け、ようやく外に出られた時に雨に打たれながら両手を広げる場面が印象的
このシーンに至るまでの道中やラストも素晴らしくて、自分の語彙力では伝えられないけど良い映画です
登場人物の一人、年老いた受刑者の話も印象に残っている。彼は穏やかな性格で、主人公や他の受刑者に対しても親しみやすい存在だった。長い刑期を終えて、ついに釈放される日が訪れるが、彼は出たくないと拒む。刑務所は彼にとって、居場所であり、家のような存在だったのだ。
けれども、老人は外の世界へ無理やり追い出される。
シャバでの暮らしは彼にとって厳しいものだった。
家族もなく、世界の目は冷たく、孤独に苛まれた彼は、ついには自ら命を絶ってしまう。
話は変わって、最近読んだ「精神病棟の青春」という本も面白かった。舞台は精神病棟で、そこに入院した摂食障害の女の子の話。
女の子は入院当初、将来への不安や焦りに押し潰されそうになって泣いてばかりいたが、病院での生活や他の患者さん達との関わりを通じて、少しずつ変化が生まれていく。
彼女が摂食障害になるきっかけは、学校で友だちから体型についてからかわれたり、陰口を囁かれたり、厳格な父親の存在だった。お父さんは「病は気から」という考えの人で、次第に痩せていく女の子に対して甘えだなどと責め続けた。
精神病棟での暮らしは、女の子にとって学校や家よりも自由で、呼吸がしやすい場所だったのだ。
刑務所をや精神病棟といった、傍から見れば過酷に思える環境の中でも、安らぎや希望を見出す人もいる。
むしろ外の世界のほうが、彼らにとっては悪意や偏見に満ちた場所。
生き物はどんな環境下でも、一筋の光を探し求めることが出来るのかもしれない。
もう一つの物語
村の外れにある小川のほとり。
秋の夕日が木々の間から差し込み、川面が黄金色に
きらきらと輝いています。
ごんは小川の石の上にちょこんと座りながら、
兵十の家のほうをじっと見つめておりました。
「今日こそは......今日こそは兵十に会って、
ちゃんと話すんだ」
小さな黒い手をぎゅっと握りしめたごんは、兵十の家の庭先まで行くと、屋根の上に登って、静かに待ちました。しばらくすると、兵十が引き戸を開けて井戸から水を汲もうとしている姿をとらえました。
ごんは大きく息を吸い込み、思い切って声をかけます。
「兵十......、おらが栗とか松たけを持ってきてたの、
知ってるか?」
突然の呼びかけに驚いた兵十は、手に持っていた桶を落としました。しかし、目の前にいるのがあのいたずらぎつねだと知った途端、怒りが抑えられませんでした。
「お前か!最近、家の前に妙な贈り物を置いていたのは!おっかあが亡くなった後でそんなことされても、何の慰めにもならんわ!」
ごんは悲しそうに尻尾を下げて、うつむきましたが、勇気を振り絞り、言葉を続けました。
「......ごめんな、兵十。おら、おっかさんが亡くなったのも知らんかったんだ。栗や松たけを持ってきたのは、少しでも元気になってほしいと思ってたんだ」
兵十はその言葉に怒りを鎮め、ごんの瞳を真っ直ぐに見つめます。
「本当に、そんなつもりで......?」
ごんは、こくりとうなづきました。
「おら、子どもの頃からおめぇことを見てたんだ。ずっとひとりぼっちで寂しそうで......おら、友だちがほしかったんだ」
兵十はしばらく黙っていましたが、やがて、
そっと口を開きました。
「ごん、お前も寂しかったのか」
その優しい声音に、ごんはほっと息をつきました。
やっと兵十に自分を見つけてもらえたことが、何よりもうれしかったのです。
それから、ごんと兵十は徐々に打ち解けて、毎日のように一緒に過ごすようになりました。ごんがこっそり持ってきた栗や松たけを分け合ったり、小川のほとりでお互いの話を聞いたりと、まるで昔からの友達のように笑い合いました。
ある日、村の人々が兵十の家の前を通りかかり、不思議そうに尋ねました。
「おい、兵十。あの子狐がまだいるのか?
お前の畑の物を盗んだやつだろうに」
兵十はにっこりと笑いながら、こう答えました。
「いや、あいつはもう友だちさ。俺の大事な友だちなんだ」
これには村の人々も驚きましたが、兵十の良き変化を目の当たりにして、次第に彼らの関係を受け入れるようになりました。
それからも、ごんと兵十はずっと仲良く暮らし、お互いの孤独を支えながら、村の中で穏やかな日々を過ごしました。
こうしてごんは、人間と友だちになるという、自分でも想像していなかった幸せを手に入れたのでありましたとさ。
大事にしたい
自分を。
自分を重要な存在として扱ってほしい。
自分の価値を認めてほしい。
褒めてほしい。気づいてほしい。
人は自分に最も強い関心を抱いている。
だから「あなただけ」と言ってくれる人が好き。
例えば、生まれた瞬間から自分を愛してくれて
死ぬまで特別な存在として扱ってくれるお母さん。
(※例外あり)
それが満たされて初めて、人は自分のこと忘れ、
他人に意識を向けることができる。
現実でもネットでもそうだ。
他人からの「いいね」がほしい。
推しや不特定多数からの承認がほしい。
増えたとしてもこれだけでは足りない。
物欲も承認欲求も肥大化するほど自分を苦しめる。
上手くいかないと、満たされない思いを
抱えたまま他人に対して批判的になる。
認めてほしいのに、他の問題に
気を取られて自分には目を向けない。
それなのに、他人には押し付ける。
自分を好きになれないと、他人も好きになれない。
果たして自分は、人を受け入れて認めて褒めて
特別な存在として扱っているのか。
大事にしたい。
自分と、他人を。
遠い日の記憶
いったん心に焼き付けられたもので、
完全に忘れられてしまうものは何一つない
潜在意識のどこかにしっかり留まっていて、
何か大きな緊張や体調などが引き金となって
昨日の事のように鮮明に蘇ってくる
↑最近読んだ「記憶力」という本に載っていた言葉
Twitterでも似たような話を見かけた
例えば、認知症のおばあちゃんが小学校の頃に
自分をいじめてた相手の名前を口走ったり、
記憶喪失の男性が学生時代に聞いた
校歌を思い出して故郷に帰れた話だったり、
赤ん坊の頃に来た場所を見て懐かしく思ったり......
私も子どもの頃に好きだった音楽やゲーム
嫌な思い出も今でもずっと残っている
人間の脳🧠ってすごい