仲間
実生活ではあまり使わないけど、
物語の世界ではよく目にする言葉。
たとえば、「ONE PIECE」のルフィは、力とカリスマ性を持つ主人公だけど、料理は作れないし、船の修理もできない。医療の知識もなければ、航海術も古代文字の解読も不得意。だから仲間の存在が必要不可欠。船長として全てこなすのではなく、仲間を信じて、託すからこそ、彼の冒険は成り立つ。
「NARUTO」のナルトも、かつては一人で何とかしなければと悩んでいたけど、サスケの兄から「火影は皆に認められた者がなる。仲間を忘れるな」という言葉を受けて、仲間を大切にすることが最強の忍への道だと気づいていく。
仲間は主人公を支えてくれるかけがえのない存在。
だからこそ仲間に裏切られる展開は心を抉ってくる。
ラノべでは、「パーティーから追放される系」や「婚約者に裏切られ、婚約破棄される系」の話が多い。
信じていた仲間(友人、恋人、家族)に背かれる展開は、読み手に大きな揺さぶりを与える。
身近な存在の裏切りは
誰にとっても現実感を伴う悪だから。
最大の敵にもなれば、最大の味方にもなれる。
それが仲間の持つ二面性。
だからこそ仲間は、美しく、尊く、恐ろしい。
ありがとう、ごめんね
職場や学校に限らず、家族や友人など身近な人に
対しても必要な言葉。
人間社会の中で生きていくためには、
なくてはならない潤滑油だと思う。
だけど世の中には、感謝も謝罪もしない人が
一定数存在する。
人から助けてもらったり何かしてもらっても、
それが当然とばかりにお礼を言わない人。
何かやらかしても自分の非を認めず、
一生他責思考で謝らない人。
長く生きた大人でもこういう人は少なくない。
子どもの頃は、年齢を重ねるほど精神も成熟していくものだと考えていたけど、全然そんな事はなかった。
些細な事でも心から感謝を伝えられる人、
立場関係なく目下の人や店員さんなどにもお礼が言える人、自分の過ちを認めて素直に反省謝罪できる人。
そういう人たちの方がかっこいいし、品がある。
当たり前に存在するものへの感謝の気持ちは
自分も忘れがちだし、気をつけたいと思う。
終わらせないで
好きな作品が最終回を迎えると、終わらせないでと
思ってしまう。それだけ作品に惹きつけられた証。
だけど、終わるべき時に終わるからこそ余韻が残ってよかったなとなるのかもしれない。
作品が長く続くほどテーマがぶれて、
初期の魅力が失われてしまうことがある。
例えば、海外ドラマの「ウォーキングデッド」。
ゾンビvs人間のサバイバルが物語の軸だったのに、
シリーズが進むにつれ、人間vs人間に変わってたり。
ゴジラが主役の映画でゴジラそっちのけで人間同士のいざこざを見せられてる感じ。
「トイストーリー」も第3作で綺麗に終わったのに、4でそれまで大切にしていた概念が揺らいでしまい
残念だった。
「デスノート」も本来はLとの戦いで終わる予定だったけど、編集者の要望で延長したとどこかで見た。
人気作品は、「終わらせないで」「続編を作ってほしい」と期待されて、作者や製作陣が意図した形で物語が締めくくれなくなるのかもしれない。
好きな作品は終わらせないでより、
綺麗に終わってほしいと思う。
意味がないこと
人は一日に1.2万から6万回も思考を重ね、そのうち80%がネガティブなものだという話をどこかで見た
犬や猫は将来のことなんか気にせず今を生きてる
一匹で生きていかねばならない野生の猫ちゃんにとっては、寂しいという感情は不要なもの
だから親元を離れるとお母さんや兄弟のことも忘れるし、前の飼い主のこともせいぜい3年くらいしか覚えていないそうだ
過去の嫌な思い出や未来への不安など、ありもしない意味のない妄想に苦しめられている人間は、犬や猫の生き方に感銘を受けるのであった
私たちが語ったり行ったりすることの
ほとんどがムダなもの
物事は瞬く間に消え去り
完全に忘却され埋没してしまう
一部の有名人以外、みんなすぐに忘れ去られる
自分だけでなく、自分のことを覚えている人たちも、いつかはみんな死ぬ
名声も人の気持ちもあっという間に心変わりするし、貯めたお金はあの世にはもっていけない
価値があるとされるものは、
むなしくて、腐っていて取るに足らない
死は自然のプロセスであり、古いものが消え去り
新しいものが生まれる、その繰り返し
皇帝マルクス・アウレリウスの自省録やセネカなど
ストア派の思想は、仏教の諸行無常に通じるものがあり、日本人にも親しみやすい
自分も大切な人も嫌な人も過去のやらかしも、いつかはすべて消えて忘れ去られると考えたら救いのようにも感じられる。みんないなくなるんだ
頭の中であれこれ考える妄想のほとんどはすぐ忘れる意味のないことだけど、文字や言葉にして形にすることは自分にとって意味がある
一筋の光
映画「ショーシャンクの空に」を思い出す。
冤罪で逮捕された主人公が数十年もの間、壁を掘り続け、糞尿だらけ配管をくぐり抜け、ようやく外に出られた時に雨に打たれながら両手を広げる場面が印象的
このシーンに至るまでの道中やラストも素晴らしくて、自分の語彙力では伝えられないけど良い映画です
登場人物の一人、年老いた受刑者の話も印象に残っている。彼は穏やかな性格で、主人公や他の受刑者に対しても親しみやすい存在だった。長い刑期を終えて、ついに釈放される日が訪れるが、彼は出たくないと拒む。刑務所は彼にとって、居場所であり、家のような存在だったのだ。
けれども、老人は外の世界へ無理やり追い出される。
シャバでの暮らしは彼にとって厳しいものだった。
家族もなく、世界の目は冷たく、孤独に苛まれた彼は、ついには自ら命を絶ってしまう。
話は変わって、最近読んだ「精神病棟の青春」という本も面白かった。舞台は精神病棟で、そこに入院した摂食障害の女の子の話。
女の子は入院当初、将来への不安や焦りに押し潰されそうになって泣いてばかりいたが、病院での生活や他の患者さん達との関わりを通じて、少しずつ変化が生まれていく。
彼女が摂食障害になるきっかけは、学校で友だちから体型についてからかわれたり、陰口を囁かれたり、厳格な父親の存在だった。お父さんは「病は気から」という考えの人で、次第に痩せていく女の子に対して甘えだなどと責め続けた。
精神病棟での暮らしは、女の子にとって学校や家よりも自由で、呼吸がしやすい場所だったのだ。
刑務所をや精神病棟といった、傍から見れば過酷に思える環境の中でも、安らぎや希望を見出す人もいる。
むしろ外の世界のほうが、彼らにとっては悪意や偏見に満ちた場所。
生き物はどんな環境下でも、一筋の光を探し求めることが出来るのかもしれない。