若い頃は恋愛関係のイベントでしかなかった
そんなに若いとも言えない年齢の今
家族とか姪っ子とか
チョコをあげたい人の範囲が広がって
そのことが
なんだか嬉しい
(もちろん恋人にもあげたいが)
伝えたい
私はあなたのそばに行くことはできない
いや、行こうとすれば行けるんだけど
すぐにはなかなか厳しかったり
今すぐただちにそばに行って隣に座ったり、肩を抱いたりしたくても
現実的には不可能で
行動力のなさを不甲斐なく思います
私はあなたのそばに居たい
あなたのそばに行きたい
そして隣に座って肩を抱いて
なんとかして心に寄り添いたい
そう強く思っています
そのことを知っていて下さい
この同じ空の下、地球という星の上に、そういう人間がいることを
(すぐには会えない所にいる君へ)
(そして、災害や戦争、世の中のままならなさなどに苦しんでいるあなたへ)
この場所で
生きていこうかと思っている。なんとなく。もしかしたら変わるかもしれないけれど。
都会から戻って数年の間は、あまりにつまらなすぎて、刺激のある街にまた住みたいと思っていた。いつも、どこか別の土地へ行きたいと願っていた。渇望すら感じていたこともある。何度か自分がぼんやりした存在になって、影すら薄くなっていくような気がしていた。
そしてそれもまた昔の思いになり、このつまらない土地がいいんだな、と思えてしまった。まあ、都会の人に、何もない土地だね、とか言われたら怒るけど。
こののんびりした土地で、ぼんやり生きているのが、性に合ってるのかもしれない。
誰もがみんな
誰かから愛されたいと思っている
それ以上に
誰かを愛したいと思っている
昔の私だったら一笑に付したと思う。昔昔から使い古されたような言葉だと。
けれど人生の紆余曲折を経ての今、それはシンプルな真実だなと思う。
花束
昨夜不意に、君が生活している範囲はあたたかいのだと思えた。君がいるからあたたかい?なんと言えばいいのか、まだ私の中でも考えがまとまっていないけれど、君が仕事をしたり家でゴロゴロしたりしてる、その生活圏内はあたたかいものだなあと思えた。そしたら、両親の生活圏内も、おばあちゃんの生活圏内も、身近な人の生活圏内はあたたかいものだなあと思い至ることが出来た。それなら、私の生活圏内だって、あたたかいものなのだ。あたたかい君や近しい人たちがつくってくれているから。
世界は冷たく厳しくて、辛いところだと思って生きてきた。けれど、よく見ればあたたかい所だったんじゃないかな。君がお腹が空いたとLINEを送ってくる何気ない世界は、私の心をあたためてくれる。
私は生まれて初めて、世界に花束を贈りたいと思った。世界(ここ)は祝福されている。私からも、祝福の花束を贈りたい。