おじ☆チャン

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7/19/2023, 9:55:21 AM

 私だけ

 私の妻が突然この世を去った。
 それは私が定年退職をする1年前の出来事であった。
 妻の置き手紙にはたった一言「ごめんなさい」ただそう綴られていた。
 私は警察署へ赴き様々な聴取を受け、その時に警察官に言われた言葉が2年たった今も忘れられない。
「旦那さん家庭でハラスメント的態度……えぇとつまり、亭主関白な態度だったそうですね?」
 深く衝撃を受けた。大手企業の役員として、自らハラスメントに関する講師を招き入れ講演会にも参加し、部下達にはハラスメント関係を徹底して教育していた、新人達には偉ぶって、こういった~は~ハラスメントだ!と、教育していた私が。
 コンプライアンスはもとい、多種多様に増えていくハラスメントにも理解を示したこの私が。
 その後の事は正直良く覚えていないが、私の至らなさが妻を死に追いやったのかも知れない。
 思い返せば全く思い当たる節が無いわけでもなかった。
 料理や家事はもちろん、子供の面倒を見るのも近所付き合いも、買い物そして自分が家にいる時のちょっとした雑用も全て妻が担っていた。
 仕事では完璧を装っていた私が家庭ではただのハラスメント親爺だったとは非常に滑稽な話である。
 妻が亡くなって2年様々な事が変わった。
 いままで一切してこなかった家事や買い物を自らこなし、退職してからは近所付き合いにも目を向け町内会にも出席するようになった。
 そのせいもあってか、町内会の中でも少し特別な立ち位置の老人会へ入会の誘いが来たのが、今月の頭である。
 私は悩んだ。まだ老人と言われるには多少の抵抗のある年でもあるわけで今一つ二の足を踏んでいると、孫がじいちゃんはじぃじだからおじいちゃん達と仲良くしても変じゃないよ。と言うのである。
 それを聞いた息子は腹を抱えて大笑いしているのにムッとしたが、だが言われてみれば確かに孫から見た私は老人で個人の感覚に差はあれど老人会にいてもおかしい年齢では無いともおもえる。
 そして私はその日のうちに老人会へと参加する意向を示したのである。
 それから1月の時間が流れ、私が老人会の空気にも慣れ始めた頃。
 今まで聞くに聞けなかった妻の話をついに私は老人会のメンバーに聞くことにした。
 だが、予想に反して妻が話していた私の話はとても評判の良いものであった。
 妻は常に私の事を自慢の夫だと周りに触れ回っていrたという。
 それならば、何故自殺したのかという疑問だけが残る。妻の自殺原因の話はみんなが口を塞いで露骨に話をそらしてくる。その違和感さえ除けば私も手放しで楽しめたのだがそうはいかなかった。
 そして今日は私の孫が老人会の集まりに来る日だ。
 老人会のメンバーは少し浮き足だって皆が笑顔で私の孫を待っている。初めて孫を連れていったのは2週間ほど前で、その日から孫は老人会のアイドル的存在として圧倒的人気を誇っていた。
 そこで私は一計を案じる。孫を使って妻の死の真相を探ろうというものだ。
 そしてそれは存外上手くいった。孫はずけずけと老人達の輪に入り込み、一人一人から丁寧に妻の話を聞き出してくれた。
 そこで分かった事は老人会会長「小山田」が何かをしたらしいと言うことであり、それ以上は分からなかったが、その日の晩に婦人会の会長が夜分遅くに失礼します。と、やってきた。
 私が妻の事で何かを探っていることがあからさまに露呈していたからであろう。
 会長は妻の仏壇に手を合わせてしばらくしてから話を始めた。
 まず、小山田が好色でそれが原因となり離婚し子供ともそれ以来顔を合わせていなく、風の噂で孫もいるらしいが子供夫婦は一切顔を見せていないらしく、まさに天涯孤独の身であること。
 離婚後婦人会、老人会それぞれの女性に手を出し様々な弱みを盾に好き放題しているということ。
 そして妻はそれを拒み続け最後には強姦されてしまったと言うことであった。その後は私もよく知るところである。
 年甲斐もなく激昂した。激しい憤りはどこへ行くともしれず破裂し、その矛先は当然小山田へと向きその勢いのまま小山田の家へと足を運んだ。
 小山田宅のチャイムを鳴らし待つ。
 1分2分また鳴らす。
 1分2分…婦人会の会長は背中でじ…とそれを見つめる。 
 たまらなくなりドアに手をかけた。鍵は空いている。心のおもむくまま家へと入る。
 靴もある小山田は確実に家にいる。
 居留守か、さらに血液が脳をかけまわり苛立たしげに小山田の名を叫びリビングへと向かう。
 そこに小山田はいた。フローリングの上で体を大の字にして倒れている小山田がそこにいた。
 私はすぐに事態を飲み込めずただ呆然とそれを見つめ、後から入ってきた婦人会の会長が悲鳴を上げふと我に返った。
 その後小山田は病院へと連れていかれいき脳梗塞だったと判明した。
 すぐさま緊急入院したが、意識は不明だそうだ。
 それから1週間ほどが経過し、ふと小山田の意識が回復してるか気になり見舞いへと赴いた。
 もちろん気遣ったわけではない。口が聞けるのであれば問いただしてやろうと思っただけだ。
 何も持たないで病院に行くのが気恥ずかしかったので花屋で雑に選んだものをビニール袋に詰めたものを引き下げ病院へ行く。
 少し周りの目線が痛かったが気にはしない所詮は小山田に会いに行くだけだ。
 ならば何故花なぞ携えて行くのかとも、思わない事もないがそれは私の自尊心が許さないだろう。実際に許されなかったから花なぞ持って病院に来たのだ。
 カウンターで小山田の部屋を聞き向かい病室の戸をあける。
 そこには未だ意識を戻さぬ小山田がいた。
 私は花を置きゆっくりと小山田を見る。
 すると私の心に住む鬼が静かに語りかけてきたのだ。
 今ならお前だけだ口と鼻を塞ぐだけで小山田は死ぬぞ。と
 そうだ、ここには私だけ、私しかいない。
 私だけが今小山田の生死を握っている。
 ゆっくりと小山田の首へと手が伸びる。
 そうだ、殺せ、お前の妻を殺した男だぞ。腹立たしいだろ?憎いだろ?殺せ、殺せ。
 そうだ。殺してやるこのまま私が。私のこの手で。
 ゆっくりと歩を進めようとしたとき床に置いたビニール袋に足が当たり我に返る。 
 そして小山田の病室を改めて見ると、何もなかった。
 そこにあるのは小山田の命をつなぐ機械に小山田ただ1人そして私、それしかない。
 誰も見舞いに来なかったのだ。老人会のメンバーも元嫁も子供夫婦も孫も。
 天涯孤独な老人その言葉がそっくりはまるほど殺風景であった。
 私のこころには先ほどまでの憎しみは消えただただ深い憐れみであった。
 愛に餓え、その先がこれだ
 それにこの先意識が回復してもこの老人は孤独であろう。
 死んでも供養するものはいないだろう。
 そう思うとただただ憐れみの気持ちしか湧かない。
 それにくらべ私は私だけではない。
 先へ進もう。
 そう思い病室を後にする。ビニール袋に詰めてきた花を花瓶に添えて。
 それから半年、春の訪れが気持ち良い季節になった。
 小山田は3月前に息を引き取り、そのまま無縁仏となったそうだ。その長い一生の最後まで孤独な老人であったそうだ。
 私は妻の3回忌を終え、孫の小学校進学祝いを何にしようかと悩んでいた頃、老人会に新しいメンバーが来た。
 私は笑顔で迎える、孤独な老人が過ちを犯さぬよう温かく迎え入れる。
 孤独だろうとそうでなかろうと迎え入れる態度に関係はないのだが、この際はどうでも良い。
 今年の春は何を運んでくるのかそれが待ち遠しくてしょうがない。

7/18/2023, 8:13:19 AM

 遠い日の記憶

 昔は良かった。
 じいさんも親父も良く言った。
 仕事の同僚、後輩に至っても同じことを言う。
 昔話に友人と花を咲かせている時にも、友人は同じことを言った。
 俺も友人と同じように昔に思いを馳せ語る。
 夏休みに冬休み学校の部活、帰り道で友達とバカやった記憶。
 様々な思いが脳を駆け回るが、どれも良い思い出だ。
 しかし懐かしい思い出に浸っているときにふと、違和感を感じた。
 嫌な思い出が無いのだ。正確には全く無いわけではない。
 だが、どれもが何となく「思い出」という形で処理され、当時に感じた嫌な気持ちと言うものがほとんど無くなっている。
 喰われているのだ。良い思い出達に。嫌な気持ちも良い気持ちも全てが混ざりあって混沌とした脳内で良い思い出に嫌だった思い出が喰われ、あまつえ当時あれほど嫌だった出来事さえ笑い物にしてしまうほどに喰われてる事に気付いた。
 むしろ今ある嫌なことの方が鮮明に現実味を帯びた物としての実感が確かにあるほどである。
 人は喉元過ぎれば忘れてしまうと言うが、きっと今ある嫌なことも時が過ぎれば今ある良い思い出に喰われ混沌とした「思い出」になってしまうのであろう。
 それが、それこそが昔は良かったと言える物の正体では無いのか?
 そんな事を考えて外を見れば、雲が流れてゆっくりとした時間がそこにはあった。
 明日は晴れだなと、唐突に口から漏れた。
 友人はどうしてそんなことが言えるんだ?明日は雨だよ。と、スマートフォンで天気予報を見ながら言う。
 俺は小さい頃良く天気を予想してたんだよ。それがさ、なかなか当たるんだ。
 これもまやかしのようなものだ。
 実際は何度も外した気がするが、1度当たれば当たったと言う気持ちよさに、外れた時の悲しい感覚は喰われ思い出が美化されているだけなのだ。
 翌日は友人のいう通り雨で、しかも雷を伴った豪雨であった。
 だが良いのだ。所詮これも1つの思い出としていつか遠い日の記憶として美化されて残るのであろう。
 そんなものなのだ。思い出なんてものは。