終点
子供の終点
20歳
1日の終点
午後11時55分
1年の終点
12月31日
これらは、全員、生まれてから、だいたい同じ日数で来る。そして、でそれを過ぎたら、それぞれの始まりに戻る。
努力の終点
結果が出た時
幸せの終点
幸せと思った時
夢の終点
夢が叶った時
これらは、いつ来るか分からない。一生来ない可能性だってある。その理由に、才能、運、こうゆうことが、関わってくる。
そして最後、
人生の終点
死んだ時
これが最後の終点。ここに着いたら、上に書いたような、終点にたどり着いてなくても、もう、たどり着くことができない。
これらを、理不尽と、世間はいうのではないか。
うまくいかなくたっていい
うまくいかなくたっていい
それで自分が満足できたなら、
努力できたなら、
精一杯頑張ったなら、
それでいいんじゃない。
うまくいかなくたっていいよ。
※今回は、ある実話を少し変えて制作しました。
最初から決まっていた。
そんなことは、ないはず。
僕は、そう思って勉強していた。
偏差値30、絶望的だった。
どんなに勉強しても、成績が上がらなくて、勉強を諦めたあの日。
そこから、偏差値がどんどん下がっていき、偏差値20まで落ちた。
僕には、勉強の才能は、人未満だったと思う。
最初から、決まっていた。僕には、勉強の才能がない
でも、他に出来ることがあるわけでもなかった。だから、もう一度、シャーペンを握って、参考書と、ノートを開いて、勉強を始めた。問題を読んだ。
全く分からない。
でもやるしかない、そこから、少しずつ、昔の自分を取り戻した。そして、目標が決まった。
僕は、偏差値70の高校を目指す。
クラスメイトに笑われた、親に馬鹿にされた、成績上位の奴にお前には無理と、散々言われた。
それでもやり続けた。睡眠時間も削った。そこから、成績は、上がっていった。上がっていっても、偏差値70は無理と、言われるだけ、
そんなの僕が一番分かってる
ただただ勉強した。でも、
模試をやっても、D判定。
直前の模試もD判定だった。
泣きそうだった。
それでも、勉強し続けた。
合格発表当日、番号はあった。
泣いた。
とりあえず、親に、見せた。驚いた顔で、やればできるじゃない。
と言われた。
いわゆる、手のひら返しって、やつかな。
あんなに馬鹿にしてたけど。
それはともかく、とても嬉しかった。
今までの努力が報われた。
確かに僕には、勉強の才能が無かった
でも、死ぬ気でやれば、ここまで上がれるんだ。
確かに才能は、最初から、決まっているかも知れない。でも、結果は、最初から、決まっているわけではない。僕はそう思った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
実際、偏差値20から、70まで上がった人がいます。とても努力されたのだと尊敬しています。今回は、その方のお話を、元にして、少し変えて、制作しました。
除夜の鐘が鳴ったら
12月31日午後11時50分
私は、とある山に向かった。道には狭く、人通りなんてない。
ここで、私のお父さんが亡くなった。
お父さんは、山で仕事をしていたときに亡くなった。
ちょうどその時私は、家にいた。お父さんが亡くなった場所は、熊がよく出る場所だったそうだ。だからきっと、熊に喰われたのだろう。その時には、お母さんは、もうこの世に居なかった。私が幼い頃にガンで亡くなったそうだ。
つまり、私は、両親二人とも、、いや、兄弟や姉妹ももともといないから、家族を亡くした。父さんは、今年の夏、8月6日に亡くなったとされている。誰も喰われた場面を見ていないから、何時何分までは、分からない。
8月7日、、
絶望した、あの日。8月6日は、まだ、知らなかった。
私は、全てを失ったように思えた。そこにはもう、骨しか残ってない。お父さんは、この世にいない。そう、確信した。そこからは、受け入れられず、ただ、毎日、涙を流すだけ。でも、もう、受け入れるよ。
今年の除夜の鐘が鳴ったら、
去年は、一緒に聴いたね。ただ、今年は、一人で聴くことになる。だから、
この鐘の音を区切りにして、受け入れる。
1月1日午前0時
遠くから鐘の音が聴こえた。
私は、その場で手を合わせて、最後の涙を流す。
1月1日午前0時2分
私は、その場を離れてた。受け入れることができた。
なぜなら除夜の鐘を一人で、聴いたから。
思い出の除夜の鐘。
毎年、お父さんと聴いた思い出がある。
お父さん、今までありがとう。これからは、お父さんの死を受け入れて、後戻りすることなく、前へ、進んで行きます。
これで私は、受け入れられた。お父さんの死を、その時、お父さんの微笑みが、頭に浮かんだ。
つまらないことってあるよね。
でも何か価値があると思ってやってみたら?
でも、何も価値を感じられなかったら、辞めてもいいんだよ。
価値があると思ってやったことは、きっと何か、自分の宝物になるんじゃないかな。