【好き嫌い】
不思議なもので子どもの頃は食べ物の好き嫌いがはっきりしていてなすの漬け物なんてとても無理と思っていた。
ところが今では自分で漬けて食べている。もちろん今でも苦手な物はあるけれど以前に比べれば食べられるものが多くなった。
しかし人間に対する好き嫌いは別だ。以前は苦手でも、どうにかやり過ごし毎日会う人でもないからとあまり嫌いという感情を持つことはなかった。
ところが年齢のせいなのか、堪え性がなくなったからなのか、嫌だと思ったら、もうイヤ!
好き、はともかく嫌いという感情があらわになってそれを出さないようにするのが苦しくてたまらない。
会うのが週に1度だけの人でもそれさえしんどい。
食べ物なら食べなきゃ良いだけだけど人間となると、なかなか難しい。目は口ほどに物を言う、というが私の全身から「あなたが嫌い」オーラ全開したらどうしようかと思いつつ、今日も会議でその人に会ってきます。
【街】
私はこの街が嫌いだ
生まれも育ちも嫁ぎ先も同じこの街
誰かがくしゃみをすると、直ぐに伝わるような狭い街
土地が狭いのではなくて住む人の心が狭いようなこの街
見えない視線があったり、さりげなく干渉されたり…
親睦という名で行事に参加させられて、拒否すれば影で悪口言われそうなこの街
結束が良い?
そんなのは表面だけ。
地区のボスが何か言えば誰も反対できないから、黙って従っているだけ。
田舎だから仕方がないと言えばそれまでだが、そんな街で生き生きと暮らせるのはどんな人だろうかと思う。
だから私は子どもに
この街を出て良いと、好きなところでやりたい仕事をすれば良いと話してきた。
確かに都会は隣の人の名前も顔も知らないかもしれない。
孤独な人にとっては本当に孤独かもしれない。
でも顔を知っている人、名前を知っている人、会えば話す人がたくさんいたとしても
孤独を感じないとは言えない。
仲間がいたとしても心が通じない人ばかりだとすれば、そこは孤独なところなのだから。
他の街に行っても孤独はあるだろう。
この街を出てどこかで住んだとしても、その街も好きになれるとは限らない…
とはいっても、やっぱり
私はこの街が嫌いだ。
でもたぶん私は嫌いなこの街で老いて死んでいくのだろう。
【やりたいこと】
やりたいことはいっぱいある。
海に行きたい。
ひとり旅をしたい。
温泉に行ってのんびりしたい。
豪華客船で海外クルーズ。
ダイエット器具を買いたい。
日本語教師の講座を受けたい。
姑に意地悪したい。(自分に返ってくるからしない方が良いかな?)
犬を飼いたい。
自分の心を解放したい。(何に縛られているの?)
自分の死のタイミングを自分で決めたい。
眠るように死にたい。
いくつできるかな?
お金があればできること。
お金がなくてもできること。
還暦になったらもっといろんなことができると思っていた。
もっと自由になれると思っていた。
でも…
当たり前だが何も変わらない。
59歳の最後の夜から60歳最初の朝になっただけのこと。
それどころかやりたいことじゃなくて
やらなきゃならないことに追いかけられる毎日。
それに刃向かいスマホに逃げテレビに逃げ読書に逃げ…
できなかった理由を作ってる。
思い通りのお金と時間があれば本当にやりたいことをやるの?やれるの?
自分に問いかける。
私の心が答える。
やっぱりできない言い訳をしているかもね。
人間、本当にやりたかったら誰がなんて言おうがやるだろうし、やるための努力をするはず。
本当にやりたいことは何なのだろうか。
【岐路】
何度も岐路はあった。
でもそのときに自分で選んだ記憶があまりない。
高校進学も大学進学も、入りたいところではなく入れるところを親のすすめで決めた。決めたのは自分なのだから、そのときは岐路だったはずだが選んだというよりは、そこしかなかったという消極的な選択だった。
仕事はというと特にやりたいことがなかったので、ある仕事の採用試験を受けたが落ちた。でも何もしないわけにはいかないので、その仕事の臨時職員になって数年働いた。どうしてもやりたいわけではなかったので人間関係などで嫌気がさし辞めたいと思っていたところにちょうど家業で人手が足りなかったので、辞めて家業を手伝った。
結婚はというと、今の夫に見初められて(嘘だと思うかもしれないが本当である)人間的に悪い人でもなく話しも合い考え方も尊敬できるところがあったので知り合って1年もたたないうちに結婚した。親族の誰かひとりでも反対する人がいるなら結婚はしないと夫には話してあったが夫からは反対する人はいないと聞いていた。
しかし相手が良くても、その親も良いとは限らない、ということをその後思いしらされた。
姑からは暗に、私との結婚は積極的に賛成ではなかったことを子どもが生まれたあとに言われた。そのとき私は言った。
「それならば、これからでも辞めますか?」と
姑は黙ってその場を離れた。私もまだ若かったので、追いかけてまで何も言わなかった。それが初めての口答えだった。
今思えば、そのときが私が人生を選び直す岐路だったかもしれない。この家を出る、夫がどうするかは別にして、子どもを連れてこの家を出る。しかし私はそういう選択をできなかった。乳飲み子を抱え、自営業で小遣い程度の収入で独身時代の蓄えしかない、兄夫婦がいる実家に帰ることはできない、しかも田舎の同じ町内で、もし私が出れば町中の噂になるだろう。お金も行くところもない若い母親に家を出るという選択はなかったのである。
こんな風に岐路はいくつもあったはずなのに自分で選んだ意識もなく時の流れ、周りの流れ、環境の流れに漂いもがきながら泳いできたのだ。塞翁が馬のようなものか。(意味は合わないかな?)
しかし積極的に選んでなくても結局は自分で選んできたのだ。そういう自分が情けなくてもそれが現実なのだ。
人生は選択の連続である、といわれるが還暦過ぎた今後もおそらく小さな岐路があるだろう。
残り少ない人生、せめてこれからの岐路は自分の意思を自覚し選択していきたいと思う。
【世界の終わりに君と】
世界の終わりにはひとりでいたい。最愛の子ども、信頼できた夫、どちらとも一緒にいたくはない。
心許せた友人も愚痴を言えた姉、私を慈しんでくれた母とも一緒にいたいとは思わない。
人はひとりでは生きられないと誰かに助けられ誰かに理解されながら生きていることは知っている。
でも生まれる時は本来ひとり。
もちろん今は医療関係者の助けを得て出産するが、動物としての人間は本来自力で生まれてきているはずだと思う。
ならば世界が終わるとき、それは死を意味していると思うが、その瞬間もひとりで死んでいきたいのだ。
世界が終わるとき愛する君がいたら悲しくてしょうがない。目の前で君の死を見るのは切なく苦しい。ごう慢かもしれないが終わった世界のどこかで君だけは生きているという望みを持って私は世界の終わりに自分も終えたい。