未だ嫁修行

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【岐路】

何度も岐路はあった。
でもそのときに自分で選んだ記憶があまりない。
高校進学も大学進学も、入りたいところではなく入れるところを親のすすめで決めた。決めたのは自分なのだから、そのときは岐路だったはずだが選んだというよりは、そこしかなかったという消極的な選択だった。
仕事はというと特にやりたいことがなかったので、ある仕事の採用試験を受けたが落ちた。でも何もしないわけにはいかないので、その仕事の臨時職員になって数年働いた。どうしてもやりたいわけではなかったので人間関係などで嫌気がさし辞めたいと思っていたところにちょうど家業で人手が足りなかったので、辞めて家業を手伝った。
結婚はというと、今の夫に見初められて(嘘だと思うかもしれないが本当である)人間的に悪い人でもなく話しも合い考え方も尊敬できるところがあったので知り合って1年もたたないうちに結婚した。親族の誰かひとりでも反対する人がいるなら結婚はしないと夫には話してあったが夫からは反対する人はいないと聞いていた。
しかし相手が良くても、その親も良いとは限らない、ということをその後思いしらされた。
姑からは暗に、私との結婚は積極的に賛成ではなかったことを子どもが生まれたあとに言われた。そのとき私は言った。
「それならば、これからでも辞めますか?」と
姑は黙ってその場を離れた。私もまだ若かったので、追いかけてまで何も言わなかった。それが初めての口答えだった。
今思えば、そのときが私が人生を選び直す岐路だったかもしれない。この家を出る、夫がどうするかは別にして、子どもを連れてこの家を出る。しかし私はそういう選択をできなかった。乳飲み子を抱え、自営業で小遣い程度の収入で独身時代の蓄えしかない、兄夫婦がいる実家に帰ることはできない、しかも田舎の同じ町内で、もし私が出れば町中の噂になるだろう。お金も行くところもない若い母親に家を出るという選択はなかったのである。
こんな風に岐路はいくつもあったはずなのに自分で選んだ意識もなく時の流れ、周りの流れ、環境の流れに漂いもがきながら泳いできたのだ。塞翁が馬のようなものか。(意味は合わないかな?)
しかし積極的に選んでなくても結局は自分で選んできたのだ。そういう自分が情けなくてもそれが現実なのだ。
人生は選択の連続である、といわれるが還暦過ぎた今後もおそらく小さな岐路があるだろう。
残り少ない人生、せめてこれからの岐路は自分の意思を自覚し選択していきたいと思う。

6/9/2023, 9:39:25 AM