【あの頃の不安だった私へ】
あの頃より今の方が不安を抱えている。
若いときはなんとかなるさ!みたいな変な楽観主義でいたけれど、年齢を重ねて、老後を目の当たりにすると不安になる。
10年後の私は今の私に何を言うだろうか?
案外、大丈夫だったよ!か
やっぱり、きついよ!か
10年後、この文章を読んでみよう。
そのためには今を健康に元気に生きなくちゃ!
不安はもしかすると暇な心の隙間に生まれるものかもしれない。
こんなゴミ屋敷の状態で突然死したらどうしよう、なんて思う暇があるなら一生懸命片付けすれば、忙しくて不安も感じる暇もなくなるよね。
#12
【逃れられない呪縛】
(長文です)
父が病気で亡くなったとき、私は小学1年生だった。周りの人は早い死を悼み、嘆く祖母を見て
「親より先に死ぬのは一番の親不孝だ」
と言った。その言葉は幼い私にとって親不孝の定義になった。
親より先に死んではならない。
それは還暦を過ぎた今でも記憶に残り呪縛となっている。
その後、母は女手ひとつで私たち兄弟を育ててくれた。その時々に言葉でしつけ教えを受けてきた。その言葉は私にとって逃れられない呪縛となった。
「あの家は父親がいないから、あぁなった(非行に走った、ぐれた、後ろ指をさされるようなこと)と言われたくない。」
私は少なくても人前では良い子になり、正義感の強い人間になった(ように見えるかも)。しかし自分自身では、本当はどこかひねくれて可愛げのない裏表のある人間だということに気づいている。
「人に迷惑をかけてはいけない」
私は人に迷惑をかけるどころかボランティア活動をするようになった。しかし人は迷惑をかけないで生きることは無理だとわかっているので、どうしたら迷惑かけずに生きられるかと人知れず悩んでいる。
「人間は雨風しのいで飲んで食べて生きていられれば良い」
しかし大人になって、それは貧乏を正当化する言葉だと知ったが、そのときは時すでに遅く、私はあばら屋に住み欲もなく多くを望まない、けれど内心はお金もほしい、素敵な家に住みたい、たまには旅行も行きたい…という欲深い矛盾に満ちた気持ちを抱え葛藤しながら生きている。
そして結婚するとき母が言った。
「出た口は引っ込まない(姑に口ごたえをしてはいけない)」
私は、その通りにしようと努力した。姑に何を言われても、とりあえず黙って時をやり過ごした。けれど私は言われたことを夫に言い喧嘩になり、そのストレスを子どもにぶつけるようになった。心も体も限界になっていた。そんな時その愚痴を姑で苦労した叔母に話したら叔母が言った。
「我慢なんてしなくて良いのよ!」
私は泣いた。少し呪縛がほどけたような気がした。でもその叔母は病気で数年後に他界した。もっといろんなことを話して呪縛をほどきたかったのに。それを境に少しずつ姑に口ごたえするようになった。しかし口ごたえできなかった頃の心の鉛はずっと沈殿したままである。
結婚してから舅や姑の言葉が呪縛となった。個人商店で家族だけの自営業なので休みはなく元旦以外は店を閉めない。夫が休みを決めようと提案したが、舅は言った。
「店は閉めない、お前たちだけ休めば良い」
家と店が同じ建物なので私たちは家でのんびりというということはできなかった。店を閉めてはいけないという呪縛。それは諦めとなり、やがて習慣になった。人は諦めると努力することをやめる。私は店のために努力することをやめた。
子どもが小学生になり夫婦で行事に出かけた時たまたま店が忙しく姑がお客さんに不満を言った。
「ひとりの子どもに2人で出かけてる」
帰宅した私たちに姑は何も言わなかった。後でそのお客さんから言葉を聞いた。それ以降、子どもの行事に行くのは夫婦のどちらかひとりになった。夫の弟夫婦はいつも2人で行事に参加していることを聞いた。呪縛のない人が羨ましかった。
以前、私が働いていたところから臨時で(時短)働いてくれないかと電話がきた。姑が言った。
「そんなところより商売の方が収入が良い(儲かる)」
「女が稼ぐと威張るようになる」
時はバブル崩壊を迎えていた。年々売り上げは減り私たちへの給料も減った。舅姑たちは高度経済成長期しか知らずバブル崩壊後も良くなると信じ女は男の稼ぎで暮らせば良いと思っていた世代。そういう人に従わなければならないという呪縛。
でも人生は選択の連続である。ほどくことができたかどうかはわからないが、その呪縛の糸を1本ずつほどく努力をしないことを選択したのも自分である。ただ、そういう選択をしないような呪縛があったのかもしれないとも思う。
幼いころからの躾や教育の中にそういう呪縛があったとすれば、それをふりほどくことは至難の技である。
#11
【透明な水】
きれいな透き通った透明な水に
私の体を沈めたら
私の体からはきっと、どす黒いものが出てくるだろう
私の心の中の腐りきった思い
姑への恨み
人を妬むどろどろしたもの
そしてそんな自分を呪う紅い涙
そんな汚いもの、醜いもの…
それらが透明な水に溶けて
きれいな澄んだ水が私の体に心に浸みこんで
水からあがった私はきれいな人間に生まれ変わってる
人を憎むことも羨むことも呪うことも恨むこともなくなっている
でもたぶん、それはいっとき、一瞬
また私は醜い腐りきった人間に戻って
姑を憎み、人を妬み、心にどろどろしたものを抱えて地上を生きる
透明な水は魔法の水
ずっとそんな水の中で心も体もきれいなままで生きていきたいのに
#10
【理想のあなた】
姑に何か言われたときに冷静に理路整然と言い返せる。
姑に意地悪されたらやり返せる。
姑への不満を本人に直接、言える姑に「あなたが大嫌い」とはっきり言える。
姑から以前、言われたこと、されたことを夫の兄弟に言える。
「私はこの家のお墓には入りません」と夫の親族に言える。
姑になんて言われようが自分の思った通りの行動ができる。
理想通りに行動したら、その後どんな顛末になるのだろうか…
どんなことが起きようがあなたがあなたらしくいられることが本当の理想のあなたよ!と誰か言ってくれるかな?
#9
【突然の別れ】
恩人が亡くなった、と突然連絡がきた。本当に突然死だったらしい。ご夫婦2人暮らしで夜遅くなったのにテレビの音を高くしていたので、ご主人が奥さんに注意したら反応がなく救急車で運ばれたけれどダメだったと、体調があまり良くない、と言うので翌日は息子さんと病院に行く予定だったと息子さんから聞いた。あまりにも潔い最期を知り彼女らしいな、本当にそういうことがあるのだと思いながらも、もう一度会ってお礼を言いたかった、私の心を救ってくださってありがとうときちんと言いたかった。
姑との関係、言われたことが頭のなかでリフレインし忘れられず苦しくて胸の内を吐き出した私に、心療内科を紹介してくれて…
「でもあなたはこうやって誰かに話すだけでも大丈夫かもね」といつも私の話しに黙って頷きながら聞いてくれた。
子どもが幼い頃、姑のストレスを子どもに暴言を吐き、ぶつけてしまった自分のふがいなさに涙したとき「その時はそうしなければあなたが壊れてしまってただろうから仕方なかったのよ、それでもよい子に育ったんだから大丈夫!」と言ってくれた。
いつも気にかけてくれて季節の惣菜や食べ物も届けてくれて言葉やメールや手紙で私を支えてくれた。
こんな突然の別れは伝えたい言葉も思いもどうすれば良いのかわからない。さまよう言葉と思いを、これからもずっと抱えながら生きていくしかないのだろう。それが彼女を忘れずにいることの証しになるのかもしれない。
#8