未だ嫁修行

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【逃れられない呪縛】
(長文です)

父が病気で亡くなったとき、私は小学1年生だった。周りの人は早い死を悼み、嘆く祖母を見て
「親より先に死ぬのは一番の親不孝だ」
と言った。その言葉は幼い私にとって親不孝の定義になった。
親より先に死んではならない。
それは還暦を過ぎた今でも記憶に残り呪縛となっている。
その後、母は女手ひとつで私たち兄弟を育ててくれた。その時々に言葉でしつけ教えを受けてきた。その言葉は私にとって逃れられない呪縛となった。
「あの家は父親がいないから、あぁなった(非行に走った、ぐれた、後ろ指をさされるようなこと)と言われたくない。」
私は少なくても人前では良い子になり、正義感の強い人間になった(ように見えるかも)。しかし自分自身では、本当はどこかひねくれて可愛げのない裏表のある人間だということに気づいている。
「人に迷惑をかけてはいけない」
私は人に迷惑をかけるどころかボランティア活動をするようになった。しかし人は迷惑をかけないで生きることは無理だとわかっているので、どうしたら迷惑かけずに生きられるかと人知れず悩んでいる。
「人間は雨風しのいで飲んで食べて生きていられれば良い」
しかし大人になって、それは貧乏を正当化する言葉だと知ったが、そのときは時すでに遅く、私はあばら屋に住み欲もなく多くを望まない、けれど内心はお金もほしい、素敵な家に住みたい、たまには旅行も行きたい…という欲深い矛盾に満ちた気持ちを抱え葛藤しながら生きている。
そして結婚するとき母が言った。
「出た口は引っ込まない(姑に口ごたえをしてはいけない)」
私は、その通りにしようと努力した。姑に何を言われても、とりあえず黙って時をやり過ごした。けれど私は言われたことを夫に言い喧嘩になり、そのストレスを子どもにぶつけるようになった。心も体も限界になっていた。そんな時その愚痴を姑で苦労した叔母に話したら叔母が言った。
「我慢なんてしなくて良いのよ!」
私は泣いた。少し呪縛がほどけたような気がした。でもその叔母は病気で数年後に他界した。もっといろんなことを話して呪縛をほどきたかったのに。それを境に少しずつ姑に口ごたえするようになった。しかし口ごたえできなかった頃の心の鉛はずっと沈殿したままである。
結婚してから舅や姑の言葉が呪縛となった。個人商店で家族だけの自営業なので休みはなく元旦以外は店を閉めない。夫が休みを決めようと提案したが、舅は言った。
「店は閉めない、お前たちだけ休めば良い」
家と店が同じ建物なので私たちは家でのんびりというということはできなかった。店を閉めてはいけないという呪縛。それは諦めとなり、やがて習慣になった。人は諦めると努力することをやめる。私は店のために努力することをやめた。
子どもが小学生になり夫婦で行事に出かけた時たまたま店が忙しく姑がお客さんに不満を言った。
「ひとりの子どもに2人で出かけてる」
帰宅した私たちに姑は何も言わなかった。後でそのお客さんから言葉を聞いた。それ以降、子どもの行事に行くのは夫婦のどちらかひとりになった。夫の弟夫婦はいつも2人で行事に参加していることを聞いた。呪縛のない人が羨ましかった。
以前、私が働いていたところから臨時で(時短)働いてくれないかと電話がきた。姑が言った。
「そんなところより商売の方が収入が良い(儲かる)」
「女が稼ぐと威張るようになる」
時はバブル崩壊を迎えていた。年々売り上げは減り私たちへの給料も減った。舅姑たちは高度経済成長期しか知らずバブル崩壊後も良くなると信じ女は男の稼ぎで暮らせば良いと思っていた世代。そういう人に従わなければならないという呪縛。

でも人生は選択の連続である。ほどくことができたかどうかはわからないが、その呪縛の糸を1本ずつほどく努力をしないことを選択したのも自分である。ただ、そういう選択をしないような呪縛があったのかもしれないとも思う。
幼いころからの躾や教育の中にそういう呪縛があったとすれば、それをふりほどくことは至難の技である。


#11

5/24/2023, 7:02:36 AM