「新年」
新しい年が始まって既に365日の1日が終わった訳だが、年明け初めての1日はあっという間に過ぎ去ってしまった。
次の年を迎えるまであと364日ある訳だが
この調子で生活しているとすぐに過ぎ去ってしまいそうだ。
身も心も気を引き締め、1日、1日を大切に過ごしていかなければ1年などあっという間に過ぎ去ってしまうだろう。
長くも感じる1年なども、いざ1年経つと早く感じてしまうものだ。
そんな1年を計画的に過ごすためにも、スタートは大事になってくると私は考える。
一時的に飛躍するよりも技術や能力を常に上げられる状態の方が成長速度は早いだろう。
技術や能力を常に上げるためにも最初の駆け出し部分は重要になると考える。
年が明けたばかりだから、まだ1月だから、などと努力を怠ったり、怠けていると、後になって焦ってしまったり、最初の1ヶ月成長できず無駄に過ごして仕舞いかねない。
最も、そう語る本人も今までそういった失態をしでかしてきた訳なのだが、過去を悔いたり、重視するよりも未来を見なければならないという考え方も頭の片隅にある為、過去の失態から反省点や改善点を模索しつつ、あまり悔やまずに同じ過ちを犯さないことを1番に考えているいけるようになりたいと思っている。
いきなり大きな目標を見上げても先が思いやられるだけなので、まずはこの1ヶ月を目標通りに過ごせるよう努力することから始めようと思う。
目標はなるべく細分化し、その日立てた小さな目標を達成する事だけを考えてなるべく重くならないよう、軽く捉えるようにする事を大切にしたいと思う。
しかし、軽く捉えると言っても危機感や責任感を持たずにやる訳では無い。
目標を達成しなければいけないなどある程度のプレッシャーを与えなければ自分は怠けてしまいそうであるから危機感や責任感はなければならない。
ただその危機感や責任感を必要最低限にする努力は必要だと感じている。
重すぎる危機感や責任感は返って逆効果になってしまうし、やる気やモチベーションも下がりやすいと個人的には思っている。
それゆえ、危機感や責任感も抱えすぎず、適度に
感じることが大切だと思う。
あまり悩まず、気を引き締めつつも自分にあったペースで持続し、例え少しづつだとしても決して諦めたり怠けたりせず続けていくことが成功への小さな1歩のように感じられる。
それは一見簡単なように見えてとても難しいことだ。成果はすぐ付いてくる訳じゃない。
だからこそ成長した時、色鮮やかに映るのだ。
私は今年、その光景を自分の力で見てみたい。
その為にも宣言した目標に少しでも近づけるよう
年明けから頑張ろうと改めて思った。
「良いお年を」
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
年を迎えてしまい、何を語ればいいか悩みかねますので自分への戒めとして今年の抱負を語りたいと思います。
1年後、結果を描き記せたらいいなと思います。
趣味としてイラストを描いているのですが、昨日を持ちましてイラストを描き始めて1年経ちました。
まだまだ未熟者で、とても見せられるようなものは描けないのですが今年は他人に見せられるくらい成長したいと思っています。
自信満々には言えないのですが、副業として絵も仕事に出来たらいいなと大きな願望を抱いております。
人物だけでなく背景も描けるようになること。
女性だけでなく男性も描けるようになること。
誰かを惹き付けられる、魅了できるような絵作りができるようになること。
自分の個性を見つけ、それを生かすこと。
毎日描き続け、決して諦めない、言い訳しないことを頑張っていきたいです。
2つ目は小説です。
小説と言いましてもこれまた趣味の範疇を出ないのですが、小説を書いています。
上手くもないですし、技術も、文才もないのですが、好きで書いています。
と言っても今まで書ききったことがなく、いつも途中で書く手を止めてしまい、まともに作品を完成させたことがありません。
ですので、今年は書き切る事を目標にしたいと思います。
それが達成出来たら、コンテストに応募すること。そして叶うなら入賞出来たらいいなとこれまた雲を掴むような話ですが、大きな願望を抱いています。
その為にも文章能力を向上させなければなと思っております。
まだまだ未熟者で文章も拙いですし、表現や書き方、構成など足りない部分が多く、とても口にできるような目標ではないのかもしれないですが、だからこそこの投稿を自分への戒めに出来たらなと考えています。
目標への小さな1歩として、このアプリで文章力、表現力、読みやすさ、理解のしやすさ、など高めていけたらなと思います。
また続けることも大事だと思うのでこれからは今まで以上に投稿頻度を高められたらと思います。
とは言いましても今年は受験が控えているので
毎日、とはいかないかも知れませんが、なるべく投稿出来たらなと思っています。
素人ではありますが、これからも一読していただけますと嬉しいです。
最後の目標として、勉強を頑張りたいと思います。
この目標が今年1番の目標かも知れません。
学生ゆえ学業が本分ですので、趣味の時間を割いてでも頑張らなければならないなと感じています。
それに加え今年は受験も控えていますので、より一層努力していかなければと焦りも感じます。
しかし、自分はあまり勉強が好きではないので、ついつい趣味に時間を取ってしまいがちな所を直さなければなと考えています。
本音としましては、趣味と勉学の両立をし、どちらとも同じ熱量をもって取り組むことが出来たら嬉しいのですが、それ程、勉強が得意な訳でもないので難しい夢だとはすでに痛感しています。
後悔しないためにも今は勉強に時間を割くことが私にとって1番正しい気がするので今年1年は趣味を一時的に置いてでも頑張りたいと思います。
また検定も取りたいと考えているので取れるように頑張っていきたいです。
今回の目標宣言は自分への戒めも含まっているので、何を目標にしてるかも書き留めて置こうと思います。頑張ります。
・色彩検定2級
・漢検2級
・英検準1級
「みかん」
色は夏色なのに食べるのは冬期
そんな、ちぐはぐな果物
みかんの果肉はプツプツして美味しい
小さいつぶつぶが沢山集まっているからこそ
美味しい食感が楽しめるのだろうか。
みかんは果肉があってこそ美味しいと思う。
勿論、みかんジュースなども美味しいが、ジュースでも果肉が入っていた方がやっぱり美味しく感じる。
こればっかりは個人の問題なのだろが……
私は断然、果肉ありきのみかんを推したいと思う。
あの、つぶつぶがあるのとないのでは結構違うと思う。試してないので事実は分からないので、あくまで想像上の感想ではあるが。
いつの間にかつぶつぶ論争(?)になっていたが、みかんと言えばみかんの皮を向いたりする時に
手にみかんの匂いが移ったり、色が移ったりするのは少しネックだと思う。
みかんを食べる度いちいち手を洗わなければならない。
みかんを食べた手で何かを触るというのは中々抵抗がある。
もしかしたら私だけかもしれないが。
もしそうだとしたら中々驚愕である。
かと言ってわざわざ人に聞く話でもない気がして中々聞けないのが現状である。
誰か教えて欲しいくらいであるが、まあ、ぶっちゃけ凄く気になるというわけでもないので、誰かに聞くことはないだろうなと思う。
話の流れで聞くことはあるかも知れないが、わざわざ「みかんって食べ終わったあと匂いとか色移りとかあって地味に食べるの抵抗ある気がするんだけど、どう思う?」と急に切り出されても相手は困惑する様子が見えてくる。
そして結局、誰にも聞けないままなのであった。
以上みかん論争(?)でした。
「冬休み」
私に長期休みなんてない。
いや、正確には休みという建前だけはある
蓋を開けてみれば、休みなんて欠片もないが
表向きには休みということらしい。
昔はちゃんと休みがあったのに今では常に動き続けている。
色んなことを知ってしまったから。色んな事に気づいてしまったから。分かってしまったから。
1度踏み入れてしまったそこからはもう二度と出られない。
ずっとそこを、さまよい続ける事になる。
長期休みなんて訪れない。
否が応でも毎日向き合わなければならないから
今の人生、生活ではそれとは切っても切れない縁で結ばれてしまっているから
今では家にいてもそれと向き合わなければならないから
だんだん常に見られている気さえしてくる
だから家でも辞めることが出来ない
私はそれに依存しているから。踏み入れてしまったから。
それの怖さを知っていながら、遠ざけることが出来ないから
1度してしまった思い込みから抜け出すことは中々出来ない
1度踏み入れてしまったものから抜け出すことも中々出来ない
依存とは恐ろしいものだ。
何もかも奪ってしまう。
生活も、暇(いとま)も、人生までもが狂わされる
それほどに歪めてしまう。
そう、人間関係という名の重労働から私は抜け出すことが出来ずにいる。
「クリスマスの過ごし方」
いつもと変わらない一日に少しだけ特別が交わる
いつもの日常の中にささやかな非日常が交錯する日。
と言っても私にとってはクリスマスイブにクリスマスを満喫してしまうのでクリスマスの日はほとんどいつもと変わらない日常を送っている
しかし、世間はクリスマスムード真っ只中
そこが非日常な点だろうか。
テレビは特別番組が多い、街中や店内もクリスマスの曲が流れ、話しにもクリスマス関連の話題がよく上がる
そういったものを目にしたり聞いたりすると
「あぁ、クリスマスなんだな」と感じる
クリスマスは元々日本のイベントではないから
日本のクリスマスは自由度が高い
なのでイエス・キリストに祈りを捧げるのも
盛大にパーティを繰り広げるのも
プレゼントという習慣も
やってもやらなくてもどっちでもいいのだ。
確かにそういったイベントや行事を大切にするのはいい事だと思う。
でも、だからといってみんながみんな特別な一日を過ごしてる訳では無いのだ。
普通の生活を送っている人だっている
普通の生活を送っていてもクリスマスはやってくる
それぞれがそれぞれ思い思いのクリスマスを送っている
それは自由度が高い日本独自のクリスマスだからこそ出せる良さに思えた。