「理想のあなた」
理想の私…自分が理想に思う自分は分からない
憧れとか理想とかそういう気持ちが分からない
私自身が思う理想の私は分からないけど
親に言われた事、誰かに言われた事を全て出来る様にならなくてはとよく思う
私の理想ではなく親や他人の理想の私だけど…
理想の私を沢山言われて、そうでなくちゃいけない、そうしないと嫌われるかもしれない、などと
思ってるうちに自分が思う理想の私がどんなものなのか分からなくなった。
仮に自分が理想の自分を思い描いても
その自分にはなれないから。
親や他人の理想の姿が私の中のあらなくてはいけない姿なのだから。
私が仮に理想を描けたところで、それはあくまで親や他人の下に存在出来るものなのだから。
叶わない理想をもっても
辛くなっていくだけなのだから。
「突然の別れ」
『別れというものは突然やってくるものである』
と昔からよく聞いた。
それはもう何回も何回も
『大切な人を突然亡くした』と内容は違えど
それはどれも悲しくて辛い内容で、
皆いつかは亡くなってしまうのだから
今を大切にしなくてはならないとも聞いた。
亡くなってしまってからでは遅いのだから
話しをする事も、姿を見る事も、その温もりも
全部全部、記憶や物を通じて思い出して感じることしか出来なくなるのだからと。
それに私は大いに共感して心を打たれた。
自分は大切にしていかないと、この人達の教訓を無駄にしてはいけないと強くそう思うと同時に
それはまるで鎖のように私を縛っていった。
人はいつなく無くなるか分からない
だから今を大事に、最高の瞬間に
いつ亡くなってもいいようにと
それはもう狂った様に
喧嘩してはいけない、怒ってもすぐに仲直り
なるべく怒らない、相手を傷つけてはならない
だって明日死んでしまうかもしれないから
『人はいつ死ぬか分からない』のだから
今を大事に、大切に、見えない陶器を割らんとする様に、いつくるかも分からない大切な人の死に私は縛られていった。
そうしているうちに気づいた。
確かに今を大事にする事は大切だが、
それに囚われすぎるのもいけないのだと。
突然別れがやってくる事を頭の片隅に置く事は大事だが、それに囚われ過ぎていてはいつまでたっても前に進めないのだと。何故ならそれは本当の自分では無いから。どんな瞬間に別れが来ても
そこに居るのが本当の自分である事が1番大切なのだと。
そう気づいた時には、もう遅かった。
「恋物語」
私の恋物語は始まらない
何故なら空白だから
物語のページが無いから
恋したことも無いのに恋物語を書いても
本当に恋してる人みたいには書けないだろうし
そこに空想で書き連ねた所で
それは妄想でしか無くて
それでも恋した事すらないなんて、きっと年を重ねるごとに言いづらくなってくるだろう
そこで空想や妄想だとしても恋物語を
語ってみたり、書き連ねてみたりした事もある、空白のページを理想が埋めていって、そこには汚れがなくて清くて非現実的な恋ばかりで、上部だけの中身が全くないすっからかんな物語にしか思えず、結局この夢物語は語らない方が良いだろうと自己完結し白紙に戻した。少し書いた後が残ったのは仕方ないだろうと言い訳をして。
始めたくても始まらない恋物語を少しでも
紛らわせたくて、現実から目を逸らしたくて
文字がうっすら見えるくらいにわざと力を抜いて消したなんて、とても…、とても…。
恋という不可思議なものに侵食され、やられてしまったかもしれないとは…私は随分と落ちぶれてしまったかもしれない。
「真夜中」
いつも夜中になると
色々な事が頭の中を支配していって
辛くて苦しくなる。
無音で真っ暗だと1人でだという事が強調されて
いく様で孤独感や鬱な感情が心を支配していくみたいに死にたい気持ちが込み上げてくる。
昼間はあまり、そういった負の感情が表に出ないからか誰にも気付かれなかった。
___________誰にも気づいて貰えなかった
昔から真夜中になると辛くて苦しくて
あの時の事が頭の中を支配して侵食して
私を蝕んでいった。
泣いても呼吸がくるしくなって死にたくても
恐怖や不安、孤独、虚無感、どんな感情がこの心を蝕んでいっても助けを呼ぶことを許されていない私はただひたすらに誰かが手を差し伸べてくれる事を願って、ひたすらに願い続けて、でも誰も気付いてくれなくて
そうしていつしか、
叶わない願いだと微かな可能性に
縋って願うのをやめた
未来を期待する事も、明るい明日を願うのも
もう、諦めた
ひたすらに私が壊れていくのを私は待っている
いつしかこの身が闇に溶ける日まで
夜が来るたび苦しく辛くなって
少しずつ壊れていくこの心を
私はひたすらに沈めて我慢して
完全に壊れる日を私はただただ待っている
「愛があればなんでもできる?」
結論から話すと愛の大きさにもよるが
なんでもという点では叶えるのは容易では無いと思っている。
つまりどれだけ愛があっても、出来ない事はある
というのが私の考えだ。
何故なら根本的に出来ないものがあるからだ。
非現実的な事や論理上無理とされた事などを
愛の力で実現できたとしたら、こう言ってはなんだが、それは実に出来すぎた話で、もし仮に愛を持っているだけでなんでも出来たなら皆苦労しないだろうと思ってしまう。
しかし、なんでもという点では無理であるが
愛の力は人を動かす原動力や力になるとは思っている。愛は形に出来ない為に証明は出来ないが、形にして測れないからこそ愛には大いなる可能性と未知なる力があると私は考える。
もしかしたら、不可能を可能とする力をも
持っているかもしれない。
あくまでも可能性の話だが。