「カラフル」
みんなそれぞれ真っ白のキャンバスに
色々な色を乗せていく
生まれた時はまだ真っ白で何の色も付けられていない
キャンバスも成長するにつれ色とりどりになっていく。
色々な色が混ざり合って新たな色が生まれて
そのキャンバスは自分だけのもの
全く同じキャンバスは存在しない
その人だけの色でキャンバスは埋まっていく
でも一度彩ったキャンバスはもう二度と真っ新にする事は出来ない。
暗い色や激しい色が幾度も幾度も混ざり合って濁ったキャンバスはもう綺麗にはならない
色んな色を知ってしまったから
色んな事に気づいてそして どんどん侵食されていく
もうあの頃には戻れない
でも乗り越えていかなくてはいけない
絵の具が乾く前にまた新しい色が塗り重ねてはいけない
どんなに辛くても苦しくても
塗って仕舞えば広がるばかりなのだから
絵の具が乾いた時
自分で、あるいは誰がキャンバスを塗り替えしてくれたらその辛さもきっとなくなるから
辛い気持ちや苦しい気持ちだけじゃ無いから
負の感情ばかりを塗ってしまっては辛くなるだけだから。
生まれた頃のような正真正銘の真っ新なキャンバスには戻れないけれど
きっと真っ新で何もない色より綺麗な色が見つかるから。
補足
キャンバスというのは人の内面的、精神的部分や心を表して書いたつもりです。色は気持ちや感情。
「生きる意味」
色々な考えが出来る
でもこれは「生きてる意味」ではなく
あくまで「生きる意味」なのだ
全体に問う哲学的な問いでなく
あくまで個人に問うもの
人によって生きる意味は違ってくる
それでもそれは信念で出来たものだろう
それがどんな内容であっても
「生きる意味」を持っていれば
その人の原動力になり、心の支えになる
その為に頑張ろうと前を向ける
「生きる意味」は人に強い力をもたらす
例えどんなに残酷な内容でも
その気持ちの強さ、信念の強さだけ隔てなく人に力をもたらす。
その平等さが、どれだけ恐ろしいことか。
復讐、嫉妬、恨み、妬み、憎みそういった憎悪が
「生きる意味」とならん事を。
「善悪」
十人十色で難しい問題
だがそもそも善悪なんて無いのでは
善悪という言葉さえも人が作ったものに過ぎず
その問題の根底にあるのは当たり前という存在である
人は当たり前と自分の考えや思い、信念を頼りに大体の善悪を判断していると私は考える
だがその「当たり前」という存在、それすらも人が考え生み出した基盤に過ぎないのだ
「善悪」という言葉を
突き詰めれば突き詰めるほど答えは出ない
もしかしたら、善悪というのは人が生み出し
あくまで人が創り出した「当たり前」という基盤の上で各々が各々の考えや思い、信念などに基づき、物事を進める上で必要不可欠になってくる基準を細かく分ける為の言葉なのかもしれない。
簡単に言ってしまえば善悪とは、その人が物事の判断基準を定めるために必要な基盤を作るために生まれた固定概念なのかもしれない。
雨が好き
雨を見てると
何もかもも流してくれるようで
消してくれるような気がして
傘を刺してると周りがあまり見えないから
視線を感じにくくて好きだ
周りの声も雨音でかき消されて
聞こえにくくなって雨音だけが響いて好きだ
でも晴れてしまうんだ
いつかは雨が上がってしまう
そしたら傘を閉じなくてはいけない
また恐れに立ち向かわなければいけない
だから雨を嫌わねばならない、縋っては駄目なんだ
晴れている時間のが長いのだから
人と向き合えと、そう言ってる気がしたから
特別な人なんていない
私にはみんな同じに見える
多少の違いはあれども
私にとってはみんな未知で恐ろしい存在
誰かを信じる事が出来ない私は
誰にも信じてもらえない
特別な人がどういう存在を示すのかも私には分からない
だけど、誰か一人でも信じれたなら、心を許せたなら
もっと楽になれただろうし、特別な人がどういう人か分かったかもしれない。