小さな頃からずっと抱いていた。あのフリルがかわいい、あの瞳がきらきらしてきれい、あの髪型にあこがれる。そんな気持ちを紙の上に大きく描いたら、とてもとても楽しかった。
その溢れる気持ちを、今もまだ持てているだろうか。趣味を仕事にすると、それは段々と難しくなってくるということを眼前に突きつけられた。下手だダメだと言われて死ぬほど悔しく号泣したし、好きなものを嫌いになりたくなくて練習もした。そもそも知識が足りていなくて、新しいことや慣れないことがたくさんあった。それでも進まなければならなかった。止まることは諦めることと同意義だった。
そんなきれいごとばかり並べてもこの世界は実力が全てで、今もまだ上を見ては涙が出る。きれいな気持ちでいられないこともある。向いていないかもしれない、ならば諦めて別の道を探した方がいい、と思ったこともある。
でもまだこの筆を持っている。
決して美談などではない。叱咤を受けるかもしれない。ばかだなと鼻で笑われるかもしれない。けれどわたしは、せめてこんなわたしのことを、諦めが悪いと蹴飛ばすのではなくて、よく諦めなかったと、背を叩いてやりたいのだ。
1000年前、あなたとわたしは家族だったかもしれない。もしくは友だちだったかも、ひょっとすると恋仲だったのかもしれない。
1000年後の今、あなたとわたしの関係はどうなっているのだろう。形を変えて近くにいるのか、それとも遠くへ手が離れたのか。
ひとは永遠を生きているという。それならば必ずまたどこかで、あなたと出逢える。
何もおぼえていなくていいのです。
そのたびあたらしいあなたとわたしで、1000年先も、また逢いましょう。
花へ自分の想いを込めて、贈る。
青く小さな花たちが、あなたの胸で咲いている。
私を忘れないで、なんて花言葉、あなたはまさか知らないでしょう。花にはめっぽう疎いあなただから、こうしてそっと贈ったのです。
そう、とてもきれいな花だから、あなたへ贈ったのです。
放課後に、友だちとどちらが高く漕げるか競走をした。ある時はあの人と隣同士、手を繋ぎながら優しく漕いだ。ひとりでぼんやり、変わりゆく空を見送ることもあった。
前に後ろに、規則正しくゆらゆら揺れる。進んでもいい、戻ってもいい。止まってもいい、降りてしまうのもいい。周りは勝手に廻っていく。変わっていく。
わたしはもう少しここでのんびりと、空の模様を眺めます。
お隣、座りますか?もちろん、どうぞ。
今日も一日、旅をする。
嬉しい事、しんどい事、楽しい事、辛い事。歩けば歩くほどいろんなものに出会うから、そのたび鞄へ入れるものを整理する。背負ったり抱えたり誰かへと運んだり、時にはそっと置いていくのも選択のひとつ。
選ぶことによって、選べなかったものがある。後悔してもしきれなかったことがある。でもどんな選択をしたにせよ、今日という旅路の果てのひとは、とてもすてきです。ここまで歩いてきたのだから、果ての場所でくらい、足を伸ばして、息を吐いて。
わたしもそうします。明日も良い旅路を。