ばに

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10/28/2024, 9:22:19 AM

どういうつもりだい すれ違い様にほほ笑むなんて
始まりはいつも 突然やってくる
声が枯れるまで叫んでも この衝動はおさまらない
恋に落ちた (君が落としたんだ)
恋に落ちた (君が落としたんだ)
恋に落ちた (君が落としたんだ)
僕はただ 恋に落ちたんだ

君とふたりで歩く 黄色に衣替えした街路樹に沿って
どこまでも続く青い空を見上げ
このままずっと永遠に 永遠がなにか知らないけれど
だって恋に落ちたんだ (どうか行かないでくれ)
恋に落ちた (君が落としたんだ)
恋に落ちるってなに? (誰か教えてくれよ)
僕はただ

友達とはしないことをして
合言葉を作って遊んで
それは秘密の愛の言葉で
今やもう期限切れのパスワード
墓石に刻むんだ 僕が眠る 暗い墓穴

どういうつもりだい すれ違い様にほほ笑むなんて
君の隣には 突然現れた男
声が枯れるまで叫んでも 君はもう振り向かない
恋に落ちた (君が落としたんだ)
恋に落ちた (本当に好きだったんだ)
恋に落ちた (君が落としたんだ)

君が教えてくれた 紅茶の香り
今はちょっと 鼻が詰まってわからないや

恋に落ちた 恋に落ちた 恋に落ちた
僕はただ 恋に落ちたんだ

/ Great Green Gingerbread 『fall for you』(1988)



「すれ違い」「始まりはいつも」「声が枯れるまで」「衣替え」「どこまでも続く青い空」「行かないで」「友達」「愛言葉」「紅茶の香り」

10/19/2024, 3:43:14 AM

青く澄んだ空はどこまでも高く遠く、白い太陽は煌めいていてまぶしい。街並みは色づく広葉樹とともに。頬が火照るほどの日差しと、首元をひやりとさせる乾いた風。
どこからか、焼き団子の香ばしい醤油の匂いが漂ってくる。
ああ、こんな日は、遊園地でパンダカーに乗りたい。



「秋晴れ」

10/17/2024, 3:37:53 PM

 生きていると、まるで映画のワンシーンかのような、演出がかった場面に出会すことがある。

 その日、わたしは祖父が横たわる棺を前に、それを感じていた。
 菊を育てることに余生の意義を見出していた人だった。誰の提案かは知らないが、お別れのときに、白い菊で棺を満たす段取りとなっていた。
 大量に用意された菊の頭を、親族一同で次々と祖父のからだに盛り付けていく。まず足元、そして膝上、お腹、胸の上で組まれた手のあたり。それまで顔も知らなかった親戚たちの、涙交じりの声が音として耳に入ってくる。
 顔まわりは、同居していたわたしたちに任された。両手で掬った菊の花はまだ瑞々しく、溢れんばかりの花片からは、仄かに植物の青い匂いがした。雛鳥をおろすかのように、おそるおそる顔の横に花を添える。
 わたしの手の甲が、祖父の頬にすこし触れた。
 その瞬間、時が止まったかのように感じた。周りを取り囲む喪服の群れは、輪郭を失って混ざり合い、ただの黒い影となった。その中で、白一色に包まれた祖父だけが、ぼうっとした光の塊のように浮かび上がる。
 祖父の頬は、すでに人間の感触ではなくなっていた。ウレタンか何かのようで、完全に無機質で、物質だった。その変容が本当に恐ろしく、わたしの中のなにかのスイッチに作用したのだと思う。
 わたしは泣いていた。顔中の筋肉をぐしゃぐしゃに歪めて泣いていた。報せを受けたときも、病院で対面したときも、読経中も、ひとしずくさえ落ちる気配が無かったのに。横隔膜が痙攣を起こしたかのように、ひっきりなしにしゃくり上げ、喉を引き攣らせて泣いていた。その時まで、自分はいつ泣くのだろうかと、他人事のようにハンカチを持て余していたのに。ここだった。
 同時に、その様を遠くのほうで見ている自分も存在していた。カメラのレンズ越しに、冷静に主演を捉えていた。その涙は決して演技などではなく、むしろ突然すぎる感情の発露に自身でも動揺していたほどだったが、そこから完全に切り離された自分が、その場には居たのだ。それはもうめちゃくちゃな感情だった。

 あれからもう十数年と時は経ち、祖父の声も、写真に残っている以外の姿も、匂いも、今やもう確かなものではなくなってしまった。それなのに、ただただ、感触だけが、未だに残っている。左手の甲に感じる。ひんやりとした皮。
 
 これはきっと、一生を共にする記憶だ。人生という物語の中の、ハイライトのひとつ。観客の心を揺さぶるために、丁寧に描写されたシーン。
 それを誰が観るか、わたしは知らない。



「やわらかな光」
「忘れたくても忘れられない」

10/15/2024, 2:25:29 PM

 恒星の、瞳に灼かれ、tandaradei
 春も夜も無し、夜鳴鶯



「高く高く」
「鋭い眼差し」

10/13/2024, 1:26:33 PM

 つい最近「わかったさん」を全巻揃えました。うち6冊は、子どもの頃に買ってもらったものです。新たに買ったものと並べると、背表紙の色褪せに気付かされます。
 全10巻。どれも過去に何度も図書館で読んだもの。もう一度読みたいというよりは、所有したいという気持ちが強くありました。

 ところでこの「わかったさん」、新しいシリーズが始まったことをご存知ですか。わかったさんのあたらしいおかしシリーズ。1作目はスイートポテトです。
 おはなしを作っていた故・寺村輝夫さんを原案者とし、絵を担当されていた永井郁子さんが、想いを受け継ぐ形で実現されたそうです。
 知ったときは、絶対に買うという使命感めいた感情が湧き上がったものの、未だ手に入れていません。
 その行動心理は自分の中でもはっきりしていて、言葉にするならば「がっかりしたくない」です。本の内容にではなく、自分に。

 もう楽しめないかもしれない。
 既刊を揃えたのは、すべて手元に置くことで、子どもの頃に持っていた、ただただ無邪気に胸躍らせ弾む心を、もう一度取り戻せるような気がしたからです。でも新作は違う。いま、わたしが、初めて対面し、初めて感想を抱く物語なのです。だから怖い。
 対象年齢を考えれば当然のことです。わたしはもう、より複雑な物語を理解し、求めるようになっている。それは成長であり、経験によるものであり、ただの経年変化とも言えます。

 パティシエになりたかった時期があります。お菓子を作る時間は至福でしたし、何より家族や友人に褒められるのが嬉しくて。生のクッキー生地の卵色、滑らかに照るチョコレート、焼きたてのパウンドケーキから立ち上るほのかに甘い香り。全部好きでした。
 味見してどんなに自信があっても、ラッピングしたあとはなぜか不安になる。だからこそ「おいしい!」の一言がよく効きました。今考えると、自己肯定感を高め、承認欲求を満たす術のひとつであったのだと思います。

 そのあと夢は何度も差し変わり、わたしは今、制服を着て、カウンターに立ち、他人のお金を右から左に動かす仕事をしています。信用だけで成り立つ何千万もの紙幣も、他人のものであれば、コピー用紙の束となんら変わりありません。
 わたしは大人になりました。
 ただし「つまらない」と形容詞で言い切るには、趣味も娯楽も多く、自分の楽しませ方をよく心得ていて、新たな夢も持っています。失ったもの、取りこぼしたもの、切り捨ててきたものは山とありますが、確かに今が楽しい。
 推しもいます。子どもの頃には見向きもしなかったであろう、スコットランド出身の俳優、53歳です。

 それでもやっぱり縋りたくなるものが「わかったさん」の中には詰まっている。それは認めざるを得ません。だから怖くて新作を読めない。おかしいでしょう。でも真剣に、そうなんです。
 そうは言っても、結局は近いうちに、買っているような気がします。わたし自身があの頃と同じ感性で受け止められなくても、今を生きる子どもたちに届くよう、シリーズを続けるわずかな支援として買うのも、大人のやり方として悪くないかもしれません。スイートポテト好きだし。
 
 もし期待どおりでなくても、そっと閉じて大事にしまっておきます。宝箱だと思えばいい。あるいはタイムカプセル。それもきっと、新しい楽しみになるはずです。いつかまた、クッキーのひとつでも焼いてみようと思える、その日まで。



「子供のように」

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