母が急逝してしまった。
今日は遺品整理の為に実家に帰ってきた。私は親とは喧嘩別れしてしまい、ここ10年ぐらい帰ってきてなかった。久しぶりの家は少し抵抗があったが、父がショックを受けすぎてベットから起き上がれないほどになってしまい、私が唯一の身寄りの言うことで来たものは良いものの、母は几帳面な人なので部屋が汚いだなんてことは無かった。
父もこれから1人ということでそんなに使わない調味料や洗剤のストックなどを少し持って帰ることになった。フライパンも1個にして、食器も少し分けてもらった。
ただでさえそんなにものが無い家なのにこんな質素になったら本当に食べて寝るだけの場所になってしまいそうだった。
キャリーケースに全て入れて、割れ物は後で送って貰うことにした(まぁ、自分で送るんだけど、)
そして、最後の問題の部屋。母の仕事部屋だ。
ここは、鍵付きの部屋で勝手に入るのは許されていない。子供の頃は入ってみたかったものの、今はそんなに興味は無いのに空けるのにとっても時間がかかった。そして、意をけして鍵を刺した。
「ガチャ」
そうやって取っ手を持って恐る恐る開けると、そこには数ヶ月前まで母がいたような雰囲気を醸し出していた。
真正面にパソコンがあり、資料が本棚にびっしりありクローゼットには使わない資料もあった。
ディスクに腰をかけて、いらないIT系の資料をまとめて玄関に置く。それを終わるまで繰り返すという過酷作業をしていた時であった。
クローゼットの方の資料を集めていくと、
「子供のしつけ」「子供がかかりやすい病気」などの本が出てきた。そして1冊のノートが私の足に落ちてきた。パラパラめくると、日記らしきものがあった。
2004年5/6
今日、娘がつかまり立ちをした。成長が早い。頑張れ娘ちゃん!(´˘`*)
2006年10/27
今日はお遊戯会。歌が歌えるようになったり、リズム通りに鈴鳴らしたりして可愛かったなぁ。
2008年3/3
今日は早めの卒園式!今年から小学生。時の流れだね。
次も頑張って行こうね♡
年数はバラバラのものの、日記であった。
しかも日記は全て私の事ばかり、最後の日記は私が高校3年の時の卒業式で終わっていた。
この年数を母はノート1冊に書き留めていた。
私に関することなので、私にも懐かしい思い出とかがあって、笑ったり少し感動もしてしまった。
「ヤバっ、もうこんな時間!」
1時間もノートに気を取られていたことに気が付き、またクローゼットの片付けに戻ったが、母親の愛がずっと溢れ出して来て、目が熱くなって涙が溢れだしてしまった。
「こんな所に隠さないでよ、」
そして最後は私が幼稚園で書いたであろう家族の絵がでてきた。
母はきっとこれを見られたくなかったんだろうな。
また、私の足の上に何か軽いものが落ちた気がした。
「母子手帳…」
そこには毎日1歳になるまでの私の事を短文で毎日書いてあった。
「今日は沢山遊んだね」
「最近便秘気味、機嫌悪い🌀」
「今日は少し遠出、楽しかったね」
ずっと、ずっと、私の事を愛していてくれた、溢れる母との思い出と、今までの10年間を悪く思い、墓のところまで私は車を動かした。
「お母さん、久しぶり。死んでから会いに来んなよって思ったよね、ごめん。後、この10年間迷惑もかけてごめん。ずっと愛してくれていたのにそれに気が付かなくて甘えてた。自分から壁作って離れていったのに。私、そろそろ三十路だよ?お母さんならもうちょっとで結婚するのに私は相手もいないよ。
お父さん、とっても悲しんでる。私お世話頑張るから見ててよ。後悪いけど日記見ちゃった。ごめんね…謝ってばっかりだけど、でも、お母さんには迷惑かけっぱなしだから。また会いに来るね。」
そう言って大好きだった洋梨を置いて帰宅した。
母との思い出もここ10年の思い出も全部全部私。
ごめんもありがとうも言える間に言いたかった…
「10年後の冬の日僕は待ってるよ?」
そう言ってくれたのに君は影すらも見せてくれないね。
今どこで何して、どんな事してるかなんて1ミリも分からない。
そっちは楽しい?私は君がいなくなった10年間私頑張ってね自立したんだよ?10年前じゃ考えられないでしょ?
ボロボロだった私を助けて愛をくれてありがと。でも、流石に約束破る人だなんて思わなかったなぁ。
知ってる?今日はね君と私があった日なんだよ?こんな寒い中よくベンチで寝てたよね。びっくりだわ。死んでるかと思って結構慌てたの覚えてるんだよ??
ねぇ、聞いて?私、好きな人が出来たの。あれ?言わなかったっけ?同じ部署のね先輩なんだけど、私の事しっかり受け止めてくれる人だよ?
君が私の事受け止めきれていないだなんて言ってないじゃん?
でも付き合ってるとかじゃなくてね、ただ好きなの。こんな学生みたいな恋、久しぶりだなぁ。
ねぇ。聞いてよ、私失恋しちゃった。いいように私利用されてた。私の友達の子が好きだったみたい。あぁ、こんなにぽっかり穴が空くことなんて無かったのに…私男運悪いよね。
久しぶりだね?3年振りぐらい?
聞いてこの3年でね私結婚して子供が1人産まれたんだ。
失恋しても割と生きていけるもんだね。教えてくれてありがとう。あの時の子供が帰ってきた訳じゃないけど、ちょっぴり嬉しいよ。
10年前…私は当時付き合っていた彼氏がいて婚約までして、妊娠までしていたけど、君が余命1年とか貰うから、私生きていけるか不安だった。
でもここまで成長したよ。この事は今の旦那さんも子供も理解してくれてるよ?、だけど墓参りはそろそろ控えようかな。また行けそうにも無いかな。
ていうかそばに居たのなら、少しぐらい見えてもいいんだよ?
その時は5人でご飯食べよ?
ぜひあの子もそっちで育ててよ。
来世は一緒になろうね。
そう言って、水を思いっきり墓にぶっかけてシオンの花を置いて帰った。
あの日から私はあの人よりも愛せる旦那さんと幸せな家庭を築いてる。冬が来る季節になるとふと、思い出すよ?
幸せになってね。
「来世の妻より。」
震災があったあの日、私はその時一緒だった姉と弟とはぐれた。姉と弟は無事だろうか、一緒であろうか…流されていないだろうかと、不安が募っていた。もう一度「あいたい」その一心で変わり果てた街を辿って歩いた。木々も倒れ古い家屋はもう木の破片として転がっている。どれだけ歩いただろうか、避難地まであとどのぐらいだろうか。街並みが変わるだけで歩いている道に自信がなくなってしまった。その時である、誰か小さい子の泣き声がしたのは。その声はどんどん近くなって行き突然その声は目の前にあった。私の弟の声だ。この場所がどこかようやく理解した私。「真守ー!(弟の名前)」「おねぇーちゃん!」もう涙が溢れて、ぐしゃぐしゃになりながら弟を思いっきり抱きしめた。「真守、お姉ちゃんは?」そう聞くと、弟がこう言った。
「高台に登る途中で手が離れて、どこかへ行ってしまった。」
姉は元々そんなに体力が無く、疲れやすい体質だった。弟が姉を引っ張って行ったのだろう。
「とりあえずここから、離れよ?おぶってってあげるから、」
そう言って、おんぶしてあと数キロの高台を登った。
その瞬間である。また大きな地震があった。さっきより酷い揺れ。弟に覆いかぶさり自分の頭を守った。地震の揺れもおさまった。上から街を見てみると変わり果てたものだった。
「あの街にもう一度会いたい。」離れ離れとなった家族。母親も父親も見当たらなかった。もちろん姉も。
弟と避難所暮しをして、余震の続く中私達はあるべき場所に向かった。自宅だ。自宅は幸いにも高台から少し上がった所にあった。カロリーメイトを3箱貰って避難地を後にした。水もない。食料だって少ししかない。その中2キロ先の家にたどり着いたのは約1時間後の事だった。幸いにも窓ガラスが割れた程度で済んだ私の家。弟を下ろしドアを開けた。そこには、離れ離れになっていた母と父がいた。見えた瞬間なにかの糸が途切れるようにそこで腰が抜けてしまった。母も父も元気そうだったのと、出会えた喜びがとても大きかった。
だけど、「お姉ちゃん、はぐれてまだみかっていない。」
そう両親に伝えると、「きっとまた会える。だって僕らが会えたんだから。そう話していた。」
あれから5年。姉は今どこで何をしているのか、全くわからない状態だった。なのにある日一通私宛にメールが届いた。
「あいたい」そう。私のメールに綴られた言葉。
安否がわかった私達は、泣きに泣いて、姉を5年振りに迎え入れてやっと家族全員揃った。
だけど姉は、その後数年後亡くなった。
あの時会えた喜びとこの悲しみは天秤にかけても計り知れない重さであろう。
「離れ離れでも家族の絆は永遠であいたいと願えば会える距離にいる。」
#離れ離れ