君は今、僕を失望した目で見つめている。
おかしい。
こんなはずじゃなかった。
君の笑顔を見たかった。
見ていたかった。
どうしてこうなった。
どこからこうなった。
完璧だったはずだ。
すべて上手く行っていた。
順調だった。
なにもかも。
でも
その目に
僕が映っているなら
それでいいか。
昼下り、電気をつけ損なった薄暗い教室にチョークで黒板を叩く音が響いている。
先程から教師はとりとめのない話を続け、その説明なのか板書を重ねていた。進まない授業に退屈し、窓の外の物憂げな空をぼんやり眺める。
この時季は湿った肌に張り付くノートがひどく不快だ。
やがてチャイムが鳴り、くぐもった空気の教室にざわめきが戻り始めた。
放課後、教室の掃除をしていると、入口の方からカラッと乾いた声が飛び込んできた。
「なんでこの教室電気つけてないんだ?」
そいつは周りに軽く挨拶を投げながら、僕の方へ近づいてきた。
「よっ!何か今日は……儚げ?じゃん」
「は?…あージメジメして不機嫌だから、そう見えるんだと思う」
当たり前のように肩を組んできたこいつは、隣のクラスの██ ██だ。去年同じクラスだったのをきっかけに一緒にいるようになった。
「ベタついてキモチ悪いから離れてよ」
僕は組まれた腕を掴んで、身体から引き剥がす。
ひっで〜と文句を垂れるが、別に気にしてない顔だ。
すると、ふと思いついたようにこちらを見て、
「何かさ、湿った肌同士くっつくと一体感生まれない?細胞レベルで結合するっていうか」
___何を言ってるんだろう。
「何を言ってるんだ?」
そのまま口から出た。
だからさ…と言いながら僕の腕をとり、自分の腕を寄せて内側同士をぴたりと貼り付けた。そして、ゆっくりと引き離す。
「ほらほら!今、一体感あったって!」
興奮した様子の██を無視して、腕に残る感触をワイシャツにゴシゴシと擦りつけて消す。
「いや分からないって」
不愉快な視線を送ったが、僕の嫌がる様子が面白かったようで、懲りずにベタベタと触ってくる。
「やーめーろーーー!!」
堪らず教室を飛び出した。案の定、足音が追ってきたから、逃げて、逃げて、逃げまくった。
ゼーハーと息を切らした頃には二人とも汗だくだった。最悪だ。
しばらく言葉も出ず、ただ呼吸だけが重なった。
「も、もう帰ろう…」
「はぁ、そうだな…」
息も絶え絶えに促すと、さすがの██も疲れたらしく、素直だった。
ちなみに、次の日も掃除当番になった。あいつも当然、道連れだ。
小5の春、5つ下の弟ができた。
その小さな命は無邪気な笑顔で寄ってきて俺の人差し指をぎゅっと掴んだ。___お兄ちゃんが護ってやるからな。
決意の日から13年
「兄さん」
声のした方へ振り向き、斜め上に視線を向けた。
あの時の小さな命は、でっけー命になっていた。
「お〜久しぶり!元気だったか?……また身長伸びたんじゃないか?あんなに小さかったのに、こんなに大きくなるとはなぁ……」
ついしみじみと口をついて出た。
「年寄りくさいよ」
少し眉間にシワをよせる。失礼なヤツ。
「そんな嫌な顔するなよ〜ピカピカの新社会人だぞ」
グリグリと人差し指で眉間のシワを伸ばしてやる。
眉間を赤くした姿が可笑しくて、ぷっと小さく吹き出す。
図体が大きくなっても、可愛いものは可愛い。
あの時ついたフィルターは、どうにも外れない。
_____
13年前、兄ができた。
かっこよくて後ろをずっとついて歩いた。
兄さんも、そんな俺を当たり前のように連れて歩いた。
小学生になった時は本当に嬉しかった。
でも、一緒に登校できたのも1年だけ。
そして兄さんは、中学生になり、高校生になった。
それなのに、俺はまだランドセルを背負っていた。
俺への接し方は変わらないのに、時々、知らない人のように思えた。
追いつけないまま時間だけが過ぎ、気づけば高校三年生になっていた。
部屋で問題を解く手が止まっていた時、春から一人暮らしを始めた兄さんからご飯に誘われた。
待ち合わせ場所に着くと、すぐに兄さんを見つけた。
「兄さん」
声をかけると、こちらを振り向き笑顔で
「お〜久しぶり!元気だったか?___」
俺の体調を気遣う兄さんは少し痩せたように見えた。
慣れない環境で食事を後回しにしているのだろう。
「___大きくなるとはなぁ……」
言い方があまりにも年寄りみたいだったから、つい悪態をついた。
眉間によったシワをグリグリと伸ばされる。少し痛い。
赤くなったのか兄さんは小さく吹き出した。
兄さんの目には、まだ俺が可愛く映っているらしい。
「今日は兄さんにたくさん馳走してもらおっと。受験生特権」
「そのつもりだけど、あまり高いのは勘弁してくれ」
困ったようで少し嬉しそうに笑う兄さん。
もうしばらくは可愛い弟でいようか。
『Love you__』テレビの中でブロンドの女性が恋人に愛を囁く。僕が生まれるよりもずっと前の古い映画。隣にはただ真っ直ぐ画面を見る君。なんだか少し気まずい。
「……この映画ちょっと退屈だね」
気まずさを誤魔化すために話しかけてみる。
「んー退屈ではないけど、また愛か。って」
「███って冷めてるとこあるよね」
「よく言われる」
なれた感じで微笑む君。
自分の事なのにまるで他人事のような。
「みんな愛 愛 愛 愛ってさ、押し付けられる側の気持ちは無視。そんなの愛とは言えないだろう?」
「……贅沢な悩みですね。まぁ言ってることは分かるけど。逆に███は何か愛してないの?」
うーん……と、わざとらしく顎に指を当てる。
それから僕を見て、
「ないね」
声は軽いが、目の奥が重い。
「教えてよ」
「え?」
「俺に愛を」
時々、こういう突拍子もないことを言う。
「それって僕が君を愛してることが前提にないとダメなんじゃない?」
「愛してないの?」
「……まぁ。好きだけど愛してるとは別かな」
「何か傷つくな」
一丁前に傷ついた顔をしている。
「███だって僕を愛してないのに、僕に愛してほしいのは傲慢だよ」
「たしかに」
可笑しそうに、目を細めて笑う。
気づけば映画はエンドロールが流れていた。
「あ、終わっちゃった。次はどれを観ようか。コメディ系にする?愛控えめに。……これちょっと愛っぽくない?」
「どうして?」
「君も悪いね」
君の太陽のような笑顔を覆い隠す雲になりたい。厚く、一筋の光も通すことさえ許さない。僕だけを照らして。