ベッドに痩せた男が横たわり、女がベッドの横にイスを持ってきてそこに腰かけている。ベッドの横にあるテーブルには今にも溶け崩れそうな蝋燭があり、炎が煌々と燃えていた。
「…その蝋燭の炎が消えたとき、俺は死ぬだろう。もし消えたら…」
男は、枯れ枝のような指で戸棚を指差した。
「あの中に…しばらく働かなくてもいいくらいの金を入れた袋を隠している…持っていけ、お前には…随分と世話をかけた…」
女は首を振る。何か言おうと口を開けるが、顔を歪ませまた口を閉じた。それと同時に、蝋燭の溶けた蝋が涙のようにポタリとテーブルに落ちた。
「…気にするな。…お前には好きな男がいたのに、俺が…縛ってしまった…」
男は呻くと、静かになった。まだ蝋燭の炎は消えていない、ただ眠っただけのようだ。女は男の寝顔を見、ベッドに突っ伏すと目を閉じた。
植え込みにツツジが咲いていることに気付き、足を止めた。それぞれの植え込みにピンク、紫、赤の花が可愛らしい。桜が咲いているのには気づいていたが、もうツツジも咲いていたか。これが本当の春爛漫という奴だな。こんな綺麗な風景はスケッチしておかないと。スケッチブックを広げられそうな場所を探す。すると、おあつらえ向きに植え込みの近くにベンチを見つけた。ここなら、ツツジと桜をじっくり見ることができる。ベンチに座ると、鉛筆を持ちスケッチブックを広げた。描いていると、目の端に何かが動いた。よく見ると、トカゲだ。バッタをくわえてもごもごしている。お食事中のようだ。眺めていると、バッと何かが横切りトカゲがいなくなった。今度は何だ、と横切ったものを目で追いかける。茶色と白のぶち猫だ。先程のトカゲを叩いたり、噛んだり遊んでいるようだ。トカゲが動かなくなると猫は飽きたのか、ベンチの上で寝始めた。これは絵になるぞ。ヒラヒラと落ちてくる桜の花びらを猫の頭に載せ、私は絵に猫を描き足し始めた。
夕日が沈んでいく。もうすぐ夜が来るのだ。少し歩く足を早める。背後から、影が囁いた。
「大丈夫、暗くなっても私はそばにいるよ」
そうは言っても、光のない場所では出てこれないだろう。影が出てこれないときにあいつらが来たら、確実に私は無事じゃすまないのだ。一緒にいると言っても、手が出せないのでは意味がない。リスクを取るより、早く家に着く方が無難だ。
「もし私が出てこれなくても、一応スマホのライトで追い払えるでしょ」
呆れたような影の声を無視し、小走りとは言えないほどの早さで家に向かう。
それから、無事に家に着くと、中に入り息を吐いた。
ドアを薄く開け、外の様子を伺う。暗くなった路地にゆらゆらと真っ白な『ヒトガタ』たちが闊歩し始めていた。もう少し遅かったら、きっと襲われていたはず。
「危なかった…」
ドアを閉め、気づく。家の中が真っ暗だ。今日は早く帰るつもりだったので、電気はつけていない。これはまずい。あいつら、『ヒトガタ』は外だろうが家だろうが関係なく、暗い場所に寄ってくる。早く電気をつけないと…。照明のスイッチを手探りで探していると、ヒヤリとした何かに手を掴まれた。
「ひっ…!」
ぐいっと体を引っ張られ、バランスを崩す。目の前に真っ白なものがこちらを覗き込んでいる。ヒトガタだ!今、部屋は真っ暗で影は出てこれない。自分で何とかしないと…!ヒトガタの頭らしき部分が大きく膨らみ真ん中から裂け、真っ赤な三日月が現れた。笑ってるようなそれは…。今から補食されると気付き、体が動かなくなる。逃げられないと思わず目を閉じる。
「スマホのライト!」
背後から声が聞こえ、ポケットからスマホを取り出す。大きくなる真っ赤な三日月に向かってライトを付けると、耳障りな奇声と共に三日月は遠ざかり、急激に萎んでいった。ヒトガタが怯んでいる内にライトを使い、照明のスイッチを探し電気をつけた。パッとついた照明に照らされ、ヒトガタは苦しそうに縮こまりどろりと溶けた。溶けたそれは外へ逃げようと、床を這っていく。
「逃がさないよ」
背後の声の持ち主は、定位置である私の足元から離れ床を這う白いスライムのようなそれをずるりと吸い込んだ。しばらく咀嚼していたが、私と同じ姿をした影はごくんと飲み込んだ。
「ごちそうさま」
真っ黒な影の表情は見えないがニヤリと笑った気がした。
「助かったよ」
「だから、大丈夫って言ったでしょ」
影は定位置に戻った。
「これからも遅く帰ってきてもいいんだよ」
それだけは勘弁したい。今度出掛けるときは必ず電気をつけていこう。