330 ゴーストライター
彼は目が見えないらしい。
そしてまた残酷なことに物語が大好きなんだと言う。
にしても私たち2人はただの思考実験の被験者同士にすぎない。
週末に受ける1時間ほどアンケートをのぞけば
私たちはルームシェアをしている2人にすぎない
部屋はそりゃ膨大な研究室のたった一室だから
質素で味気ないけど、キッチンもトイレもお風呂も
冷たいアパートとなんら変わりもないだろう。
そんな一つアパートの中で彼ともう一ヶ月半、
そしてあと五ヶ月半生活を共にするんだ。
この生活が始まる前相手のことなど教えてもらえなかったから目が見えないと聞いた時はもちろん驚いた。
ただ本当に孤独だった私は、
誰かがこんな私を必要とし頼ってくれるだけで嬉しかったのだ
そんなことで私は消灯前のたった十分が幸せだ。
毎晩消灯10分前になると
物語好きな彼は、1人じゃ字が読めないから
私に読んでほしいとはにかみながらお願いするのだ。
その時間が私は本当に大好きなのだ。
私はまっさらな壁に寄っかかって本を開く。
おとぎ話から小説、いろんなジャンルの
と言ってもフィクションに限ったが、
恋愛、ミステリー、コメディ
ほぼ全てと言っていいほどのジャンルを網羅していただろう。
私は口を開いてなるべくゆっくり読み進める。
噛まないように伝わるように。
私は目の見えない彼にでも誠実に接しようと思った。
同情でも自己満足でもなく誠実に
されど意思は弱いもので
私は彼に秘密を作った。
彼から読み聞かせ係を任されるようになって私は、
読み聞かせる前に1人で最後まで読んでみることにした。
ただこれが退屈で苦痛だった。
なんてったって彼から渡される本は驚くほどにつまらないのだ。もちろん起承転結なんて完璧だし
文の構成も伏線の回収も随分と技術の高い本なのだろう。
なのに、まるでドラマがない。
ほんの出来心だった。
なんてあまりにオーソドックスだが
本当にちょっとのつもりだった。
私はどうせ彼の目に触れることのない紙の媒体にペンを
走らせて、キャラクターの感情を足していく。
物語は基本王道のストーリーパーターンが決まっていて
大抵の話はたった11種に収まるのだと言う。
そこで世の作家が力を加えるのはキャラクターだ。
というわけで結局ちょっとのつもりが
性格を作って心情表現を変えてセリフを変えて
行動を変えた。
そしたらいよいよ結末まで変わってしまいそうだが、
綺麗な伏線回収と文構造はうまく残せたと思う。
そうして私はそれがあたかも彼が好きな作家が書いた本
かのように読んで聞かせるのだ。
どっかの誰かから見たら親切かも知れない
それは、大多数から見れば最低で自己満だ。
それでも私はこの幸せな10分間をより幸せな10分間に仕上げていく。本の推敲と似てると思う。
ただそんな幸せもまた、本と同じで終わりが来るものだ
つまり思考実験の期間が終わったのだ。
終わりはあっけなく無感情な職員との面談で終わった。
感情プロセスがどうとかこうとか
無表情で言われてもって感じの話が続いた。
それきりだ。
それから私は社会の歯車に戻った。
彼が今どうしてるかは知らない。
ただ世間に戻って、ニュースを見て時代だなと思う。
AIが小説を書いているんだから。
〝感情プロセス導入大作〟
そーゆーことかよ
要は感情の欠落という作家にとっての致命傷を
半年間の分析と学習で補おうとしたのだ。
被験対象は私1人だったのだという残酷な伏線回収。
ネットニュースを前に笑う私は
一世一代のゴーストライターだ。
そこにあったあの時間、確かに愛があったと
信じていたいと思うの私は本当に人間らしい。
盲目ロボットは世間を騒がせるの作家になったよ
平凡な私はまた歯車に戻るだけ?
わたしはいつまで神様のままでいるの
ねぇ誰か神様代わってよ
誰か助けてってば
人は何が起こるか分からないと言って選択を繰り返す。
しかし、
生まれた時には既に神様がその選択全てを決めているのだ。
誰と出会うか、出会わないか
誰と結婚するか、しないか
どの大学に受かるか、落ちるか
どの会社に受かるか、落ちるか
ましてや今日の朝ごはんがご飯かパンか
全部もうシナリオとして決められているのだ。
ただ、化学が世界の真理を追い越したがゆえに
ひとつ大きな異変が生まれてしまった。
それがこの交差点だ。
ある化学者が現代の無数の技術を駆使して作ったこの交差点だ
この交差点を渡ると神様が作ったシナリオを
ひとつ書き換えることが出来るのだという。
ただし変える選択肢を選ぶことなど出来ない。
なんとなく変わった違和感を感じることだけが確かだ。
世間はこの科学者を稀代の革命家と呼んだ。
マッドサイエンティストと言うコメンテーターもいた。
このコメンテーターは誇張表現だと荒れに荒れたが
共感する声ももちろん上がった。
そりゃそうだ。
たった選択一つで他の人の未来までもが
変わるリスクを孕んでいるのだから。
というわけでこの交差点は技術ごと村の外れに移動された。
廃止しろとの声も大きかったが人の好奇心は計り知れない。
それに乗せられた化学者が今更食い下がる訳もなく
この村の外れに押し付けたというのが綺麗な落ちだ。
いい迷惑だと思う反面
交差点目的の観光客のおかげでこの村が賑わったのも事実だ。
曲がっても進んでも田んぼしかない交差点をこれほどの人が通る日が来るとはさすがの村長も予想してなかっただろう。
というわけで、
今、私の目の前には件の交差点がある。
もちろん渡るつもりだ。
正直ずっとうんざりだった。こんなどん底な人生。
いつか、いつか報われるって馬鹿みたいに頑張って
結局馬鹿な社会のハムスターのまま変われない。
神様はきっと私のことが嫌いなんだ。
前世で私はどんな大罪を犯したのだろうか。
それを今世にまで持ち越す程の憎しみなんて計り知れない。
神様は、きっと私のことが、大嫌いなんだ。
だから、変えてやる。
交差点まではあと一歩。
不幸は9割。
1割が覆ることなんて
もっと不幸になることなんて到底ないはずなのにさ
君が中途半端に幸せを残したから
この1歩を踏み出せずにいるよ。
なぁもうほんとどうにかしてくれよ
見覚えのないあざができていた
青の水彩に紫を数滴足したようなそんな色。
肌が白くてよかった。
綺麗に浮いたあざがまだ愛おしく思えた。大丈夫。
中世のヨーロッパではにわかにこんな思想が支持されていたらしい。「不健康であればあるほど女性は美しい。」ふざけた話だとしてもこれがその時の思想であれば求めるしかないのだ。そして、美しさを手に入れるために死んだ女性は、幸せだった。細すぎるウェスト、折れてしまいそうな手足、浮き出た血管、青白い肌その上に美貌を乗せて幸せそうに眠っていった。もし私はこのまま死んだらどんな顔をしていられる?あいつは泣くの?それとも愛してくれんの?
ねぇ泣くのは結局また私だけなの?
もしも世界が終わるなら全部捨てて君に会いに行くのに
なんで世界が終わんないとそんなことも出来ないんだろうね
いっそ全部全部やめて、手に残るのが君だけになって
その時になったらちゃんと救えると思うんだ。
文字に温度なんかないからさ絶対その時会いに行くよ。
だから、待ってて、お願い待ってて
どうかその時まで生きててください。
「もし世界が終わったら、」
ってそんなんじゃ何も救えないよな
離れれば離れるほど君の命が軽くなった
分からないふりで後回しが癖になった。
世界が終われば後がないからやっと腰をあげるんだ。
そのくせ誰かのヒーローでいたくて口だけ達者で
救えたものなんかひとつもなかった。
ねぇ、明日私が世界終わらすから会いに行くよ。
うん、今から。すぐに助けに行くから
助けるから
待っててよ、