毎日ネガティブな気持ちは溢れてるけど、ポジティブな気持ちが溢れることはないかな。
ネット巡回してると不快なニュースばかりで嫌になる。ならネットを見なきゃいいじゃんって話なんだが、ネット断ちなんてしたら暇で死んでしまう。
せめてなろうとか漫画とか動画みたいな娯楽だけ見るようにすれば精神衛生上よいのだろうが、それができりゃ苦労はしねぇってやつだ。
娯楽見るのも疲れるんだよな。特に年を取ると偏屈になったのが自分でも理解できて、あのキャラが嫌だあの展開が嫌だあの設定が嫌だと読めるものがなくなってきている。
ちゃんと読めば好きになれるとおもうんだけど、その読む原動力が失われているのが困ったものだ。
なにをするにしても腰が重くなってて、まとめサイトでどうでもいいニュースをだらだら見て気分を害している。それが現状だ。
ほんとか知らないけど、スマホやネットが普及したら幸福度下がるとかいうアンケートだか研究があったよな。まさにそれを実感している。
なによりも問題なのは現状を改善しようとする意志がないということだ。どうせいつか死ぬんだしこのままでいいじゃん、っとなっている。
いかんいかん。このままではいかん。人生はポジティブに生きなければ。
小説を書かなければ。だけど書けない。そもそも書きたいものすらよくわからない。
俺の人生には熱がない。努力できる人は幸せだよな。それだけの感情を持てることが羨ましい。
あるいは習慣の問題か。俺は片親でろくな教育を受けてないから、怠けるのが癖になってしまっている。
人のせいにするのはよくないというけど、親の影響、いわゆる親ガチャは間違いなく存在するし、はっきり言ってそれがすべてだよな。
とはいえ愚痴ったところでなにがよくなるわけでなし。頑張って生きていかなきゃね。
kissは万能ワードなイメージ。お菓子や歌漫画映画、とにかくあらゆるジャンルで使われてそう。具体例はちょっと思い付かないけど。
でもkissがついたチョコとかありそう。ビターな口どけをなんたら、なんてセールストークがついてそう。
いろいろと話題を膨らませそうなkissというお題だけど、残念ながらいまいち他の話題が思い付かない。
なので今日はチョコの話でも書くとしよう。たまたま今日はくじでチロルチョコが当たったし、なにかの縁ということで。
くじで当たったチロルチョコはローソンでやっているアプリくじで手に入れたものだ。普段はこういうチョコは買わないんだけど、やっぱりうまいな。
いつも買っているのはお徳用のカカオ高めのチョコ。具体的に何円くらいお得なのかはしらない。
あの手のお徳用は一口サイズの個包装なのが個人的によい。食後のデザートや間食に一つ食べるのにちょうどいいサイズなのだ。
それとカカオ高めのチョコは満足感が高く、食べ過ぎを防いでくれる。いつも買っているのは72%。これがじつにいい。
普通のチョコだと美味しすぎて食べ過ぎてしまうけど、カカオ高めのチョコはちょうどいい美味しさで一口食べれば満足できるどっしり感もある。
このカカオ高めのチョコと一緒にアーモンドを食べると口の中でアーモンドチョコになって更に満足感が高まるのだけど、お金とカロリーも一緒に高くなってしまうのが困りものだ。
1000年先も、で浮かぶものがなにもない。
SF小説とか近未来系の漫画とか、でもあんまそういうジャンルを見ないな。
未来の道具や登場人物が出てくるといえばドラえもんだけど、あれってどれくらい未来の設定だっけ?
調べるのめんどくさいから考えてみるか。たしかのび太の子孫がセワシだったよな。
でセワシ以外でのび太の子孫は聞いたことがないから多分孫じゃなくて子どもだろう。
んで作中の時代設定は多分昭和だよな。んー、なんかよくわからんくなってきた。
調べりゃ一発だけどなんか今日はひたすらだるい。もうドラえもんの未来は2000年ぐらいってことでいいや。
今は2023年だからドラえもんじゃ今回のお題はだめってことで決定じゃ!
1000年先ってなにを想定したお題なんじゃもんじゃって感じ。
そういや鶴は千年亀は万年って言葉があったような。
よし、それじゃ1000年先も鶴が生きていますように。といったところで終わりにしよう。
勿忘草ってお題として難しくない? 小説のお題としてもだいぶ厳しいと思うんだが。
仮に小説のお題として書くなら花言葉を使った話になるわな。
勿忘草の花言葉は名前通りに私を忘れないでというのが一つ、それとは別に真実の友情というのもあるらしい。
だから小説を書くならこのどちらかの花言葉を使うのがまるいよな。
ぱっと思い付くのが三通りあって、一つは余命僅かな病気の恋人に勿忘草を送られて、死んだ後に花言葉を調べてしんみりする感じの純愛系。
二つ目は仲良しの二人の子どもが引っ越しで別れて、大人になっていつも遊んでいた場所で再開して、そこには昔と同じようにきれいな花が二人を見ていた。その花の花言葉は真実の友情、みたいな。最後は三人称で花言葉を語る感じで。
最後は主人公が勿忘草の花言葉を知らずに買って、それを知り合いに渡したら花言葉を知っていた知り合いがこれってどういう意味!? と主人公を意識しちゃう勘違いラブコメ。
最後は無理やりすぎるか。正直言うと最後の勘違いラブコメは勿忘草の花言葉を真実の愛と俺が勘違いして思い付いたんだよね。
この程度の文章を書く間に勘違いをするんだから認識のずれというのは恐ろしいね。ほんの些細なすれ違いが大きな差となる。
記憶力や物事を把握する認識力、とでも言うべき脳の力は年を取るごとに衰えていく。昔脳トレとかいうのが流行ったけど、ボケないためにも頭を使って生きないとね。
ブランコとか懐かしすぎる。乗ったの子どもの頃だけだな。なんだったら見たのすら子どもの頃だけだ。
時代だねぇ。今の時代は公園の遊具がなくなってるって言うよな。実際はどうか知らないけど。
大人になった今だとブランコに乗ってたら不審者として通報されてもおかしくない時代だからな。公園にいるだけでもやばいかもな。流石にそれはネットに毒されすぎか。
しかし、俺が引っ越したとか大人になって行動範囲が狭くなったとかもあるけど、公園そのものを見なくなったな。あるとこにはあるんだろうけどなんか減った印象あるわ。
ブランコって遊び方は乗って揺れたり乗ったままジャンプするくらいか。立ちこぎとかあったな。結構乗った記憶あるなぁ。
久しぶりに乗って物思いにふけってみたいものだ。