新年
新しく年を迎える。まっさらな状態で、こたつに入りながらお雑煮やらみかんを食べて、ゆったり寛ぐ。
お正月の醍醐味である。ついつい食べ過ぎて体重計を敬遠したくなるのも常である。
私の推しの黒柳徹子さんが、新年の挨拶をYouTubeにアップしてくれて「今年は巳年なので、何事も執念深くいきましょう♡」と笑顔でおっしゃるから、私の中の執念深いという言葉がポジティブに変換されて推しの一言は、世界をパッと変える魔法だと感心してしまった。
新しい年は、昨年より良い年に…と皆口を揃えて言うけれど何をもって良い年と判断するかは、千差万別だろう。
あれもこれもと欲張らずに、健康と安穏を願い日々暮らしていきたいものだ。
そんな偉そうなことを言ってる私が、食欲という欲に負けているのも真実である。
新年明けましておめでとうございます。
全く…おめでたい奴でかたじけない…。
変わらないものはない
変わらないものはない。
確かに…。人、テクノロジー、自然、環境も変わっていくのが常だろう。
でも、と私は声高に申し上げたい。
変わらないものもある。変わる人もいるだろうが、私には胸を張って言い切れるものが、1つだけある。
今は亡き、私が師匠と呼べる唯一の方へ対する尊敬の念だ。
それだけは、私が人生を全うするまで変わらないだろう。
変わらないものはない、の逆説的な文になってしまったけれど。
人の心が変わりやすいものだけに、変わらない心の真実は強い柱のように私の体の中心を貫く。
変わりゆくものが当たり前のようにある中で、私は変わらないという強くてしなやかな、強靭な人でありたい。
寂しさ
私の息子には父親がいない。彼が小さな頃離婚が成立したからだ。
男の子にとっての父親という存在は特別なのだと思う。幼少期祖父母も近くに住んでいて、可愛がってもらったけれど、父親代わりにはやはりならなかった。
息子は穏やかで優しい性格で、私に「何で俺には父親がいないんだよ!」と反抗期の男の子なら言いそうな時も、一切言わず私を責めた事は一度もなかった。
ただ、保育園に通う頃クリスマスが近づくと、「サンタのプレゼントは、パパが良い!」と本気で言ってきたときは、私も困った。
要望に応えられなくてごめんね、と心で詫びて、口では明るく「サンタさんはね〜ナマモノは禁止なんだってー!お肉とか動物もだめなんだよ〜。」と軽いブラックジョークで納得してもらった。
でも、彼が幼い頃お正月などいとこも集まったりする日に、義理の兄が自分の二人の男の子を高い高いしたあと肩車したりする時、とても羨ましそうに見ていた息子の目を、私は鮮明に覚えている。
それと同時に、気の利かない義理の兄にもちょっと残念な気持ちになった。
「翔太くんも高い高いだぞー。」と一緒に仲間に入れてくれたら息子はどんなに嬉しかっただろう。
彼が歳を重ねて、幾つになろうと心に寂しさを抱えていることは母親ならわかる。
彼も紆余曲折あった。山あり谷ありの人生だ。今は褒めすぎかも知れないけれど、人の痛みが分かる、ある意味私より大人な面が沢山ある人格者になったのでは…。
寂しさも抱えながら、彼はこれからも強く強く生きていくだろう。
風邪
風邪という言葉を聞くと決まって頭に浮かぶ曲がある。
ゆずの「いつか」だ。
少しずつ街の風も冷たくなってきたから
風邪をひきやすいあなたの事が気になります♪
若い頃少しひねくれ者だったのか、変わり者だったのか…純粋な曲を敬遠する自分がいた。
そんな私にも甥っ子が出来て、叔母さんになったある日。
突然予期せぬ長期入院を強いられた時期があった。
その時聴いていたMP3が壊れてしまって、眠る時音楽が無いと眠れない私に、自分のMP3を入院日に優しく手渡してくれたのが、今は亡き甥っ子のけんちゃんだった。
彼の選曲は彼の心の綺麗さを見事に再現していて、どの曲も詞がとても胸に響いた。
入院生活に不安しかなかった私を勇気づけてくれた。
家族の誰も手を差し伸べてくれなかった辛い入院生活に、けんちゃんの優しさが身に沁みた。
けんちゃんセレクトの曲を耳にするたびに、胸のあたりがギュッと苦しくなる。
そして同時に、あの優しい眼差しを思い出す。
どんな音楽も耳を傾ける大切さを教えてくれたけんちゃんを。
風邪…ゆず…いつか…入院…音楽…けんちゃん。
このループは一生続くだろうし、やさしい思い出として私の心に刻まれている。
イルミネーション
若き頃、元旦那様とよくドライブした。
冬の空気の澄んだ夜など私は決まって行きたい場所があった。
今ではその青い青い幻想的な光景は見れないのだけれど…。
福生市にある横田基地の飛行機が飛んでくる際に安全対策なのだろう。
青色発光ダイオードが地面にポワッポワッと浮かぶ様は、サファイアでも散りばめた位綺麗で、私はいつも、彼の助手席から目を輝かせて見とれていた。
色の中でも、特に寒色系のブルーが大好きな私の癒やしの空間だった。
シンプルでそれでいてずっと見ていられるその景色は、今でも私の記憶の何番目かの箱にちゃんと収まったままだ。
車の運転が上手で、脇道にも詳しい彼は横田基地ギリギリにいつも愛車を走らせてくれた。
時々横田基地内を走る米兵さんの車とすれ違ったり…。その頃彼は飛行機のエンジンを作ったことで有名なSUBARUの車に乗っていた。まだ入社したての彼は高級車ではなくて、かわいらしい白の軽に乗っていた。車名はなんだったかな。形は覚えているが思い出せない。車の構造に詳しい彼は、どうやって車が走るのか私にも分かりやすく、ざっくりだけれどとても丁寧に教えてくれた。
とても優しい人だった。カロッツェリアのカーステレオからは私のリクエストのRCサクセションの清志郎の歌声。洋楽のロック。彼は80年代アイドルのオンパレード。曲の趣味が違い過ぎて面白かった。お陰でアイドルソングを今でも口ずさめる。
クリスマスシーズンや夜の街で青色のイルミネーションを見かけると、私はあの美しい光景とともに少しノスタルジックに浸る瞬間がある。
アイドルの歌声とお気に入りの曲たちと大切な青の思い出。