明日、もし晴れたら
明日、もし晴れたら、電車に揺られて鉄道の旅に行くだろう。
その名も大回り路線の旅。合法のやり方で、一駅分の切符料金で千葉の房総が拝められる何ともお得感満載の小旅行だ。
私に鉄道マニアのてっちゃんこと、同級生の勇くんが、この方法を伝授してくれたのは、ノウゼンカズラがオレンジに輝く真夏の季節だった。
とにかく方向音痴で鉄道に疎い私に、勇くんは辛抱強く優しく鉄道の旅の楽しさを教えてくれた。
なのに…。人と人のお付き合いは案外難しいもので、小さな不満の積み重ねから、些細なことで言い争いになり、疎遠になってしまった。
今は縁がなかったのだろうと思うことにしている。
一緒に観た電車の車窓からの美しい景色も、久し振りに乗った日本一速い新幹線はやぶさで食べた駅弁の味も、トロッコ列車やSLのレトロ感も…。全ていい思い出として私の中にある。
私の尊敬するネルソン・マンデラ氏は、人を恨むより許すことが幸せになる鍵…というメッセージをくれたけれど、つくづくそうだよな~と考えずにはいられない。
人を恨まないと、一緒に過ごした時間は感謝に変わる。
そうは言っても、私は根に持つタイプだから、結構苦労した。マンデラ氏の言葉を、何度も何度も自分に言い聞かせる。
今でもたまに、モヤっとする時も正直ある。でも思い出に罪はない。
勇くんと疎遠になって2年が経とうとしている。
今年もノウゼンカズラは美しく咲いた。
天気予報は明日も晴れ。
電車に乗って、千葉の内房線外房線を楽しんでこよう。
鮮やかな思い出と一緒に。
澄んだ瞳
その少女は、澄んだ瞳をしていた。
美術館に掛けられたフェルメールの代表作。
「真珠の耳飾りの少女」別名を「青いターバンの少女」というらしい。
私はこの絵が大好きだ。いつもこの少女の瞳に釘付けになる。
そして、親の欲目だが…この少女が長女の栞に似ているのだ。目の大きさといい、顔の形といい、鼻筋も唇も。
今年の4月から美大に通っている姪っ子の紗耶ちゃんに、「ちょっと褒めすぎなんだけれど、うちの栞さぁ…フェルメールの真珠の耳飾りの少女に似てるなって…親ばかだけど思ってるんだよ〜。」
と先日打ち明けた。
紗耶ちゃんは、真面目な顔で「ホントだ…栞ちゃんに似てる。」
と同意してくれた。
「栞ちゃん、子供の頃から可愛いもんね。」と笑った紗耶ちゃんの澄んだ瞳がキラリと光った。
今一番欲しいもの
今一番欲しいもの…。
それは、おばあちゃんとしての威厳だ。
妹にアフリカ人でセネガルの温和な旦那様との間に、可愛い姪が生まれて、その子が私を「こっこ」と呼ぶようになってから、周りがみんな「こっこ」に呼び名を変換。
梢おばちゃんとまだ小さなサミは呼びづらかったのだろう。
私の友達に、家族に「こっこ」って呼ばれてると話したら、毒舌の女友達洋子は「なんか、ニワトリみたい。」と半笑いだった。
全く失礼極まりない。
もう一人ののポジティブ思考の麻美は「なんかいいじゃん、呼びやすいし可愛くて。」と言ってくれた。
「ありがとう。でもね…娘も息子もこっこー!だし…孫もこっこー!って、友達…ううん、ペットに言うみたいになっててさ〜娘の家でロッコっていうコーギー飼ってるのよ。ちょっと紛らわしい。」
最初に「こっこ」と命名してくれた高校生になった姪のサミでさえ、「なんかこっこー!だと、スーパーなんかで孫に大声で呼ばれたとき、ちょっと恥ずかしい時あるー。」と打ち明けたら、これも半笑いで「こっこーなんかゴメン。」と言われる始末。
私も必死で5歳になりたての孫のルナに「こっこをこれからは、おばあちゃんか、ばあばって呼んで欲しいな。」
と訴えかけている最中である。
ルナのお兄ちゃんなんか、私をからかって「うんこっこ」なんていってくる。
ああ…。おばあちゃんの威厳はどこえやら…。
神様…仏様…。
どうか私に、おばあちゃんとしての威厳をください。
後は何も我儘言いませんので…。
どうか一つよろしくお願い致します。
視線の先には
真夏の蒸し暑いきょうしつで、黒板の音だけが聞こえる5時間目の憂鬱。
人見知りの僕はクラスでも一際目を引く、黒髪の綺麗な斎藤あすみさんとまだ一度も話せないでいる。
こんな僕だから、何きっかけで話しかけて良いかも、全く想像できない。
時々自分がなさけなくなる。
先日席替えをしたばかりで、斜め右端の席には憧れの斎藤さんが座っている。
授業もそっちのけで、僕の視線の先には後ろ姿の斎藤さんが今日もきちんとノートを取っていた。
休み時間クラスでも目立つ、イケてる男子の蓮見蓮が、「お前授業中斎藤の方ばっか見てるよな!」
僕は恥ずかしくなって、顔を赤らめ下を俯いた。
聞こえている…絶対に斎藤さんに聞こえている。
恐る恐る顔を上げた視線の先には、にっこりほほえむ彼女がいた。
「別にいいよ。ガン見してくる訳じゃないし。」
優しい。彼女はそれからずっと僕の中で神となった。
相変わらず、何も話しかけられない僕だけど。
汗ばんだシャツの中を爽やかな風が通った気がした、17の夏。
終わりにしよう
グラスの氷は溶け切ってしまって、味のないアイスコーヒーのストローだけ指でクルクル回していた。
こんな私の癖さえも、あなたは笑ってくれたのに…。
「もう…終わりにしよう。」
聞きたくなかった。あなたからの最終通告。
近くを走る電車の遮断機の甲高い音を聞いていた。
いつもは嫌いな音なのに、何故だかずっと鳴り続けば良いのに…と強く思った。
あなたとの思い出が溢れているこの街にはもう暮らせないな、と冷静に考える自分もいた。
泣いてすがる姿も想像していた。ううん、私はそんなキャラじゃない。
最後位はあなたが好きだと言ってくれた、笑顔の私で別れよう。答えは決まった。
涙は見せずに、大きく頷いた。
「うん、終わりにしよう。」
はっきり言えたけれど、私は上手く笑えただろうか…。
あなたが好きだと言ってくれた、あの日と同じように。
小さくなっていく彼の背中にそっと聞いた。
喫茶店の窓ガラスの向こうが、滲んで見えた夏の夕暮れ。