永遠
この世でいちばん愚かな言葉。
永遠には目も鼻も、嗅覚も触覚も無い。
永遠とは概念とは知覚されるから出来たものであり、しかし永遠とは無であるから結局のところ妄想の産物でしかない。
私は、人間は感覚があり精神があるからこそであり、死してなお人間でいられるのは他人の中でだけである。
死して人ではなくなった時に初めて触れられるのに。
それは人類の妄想でしかなく。
なんて愚かで空っぽな言葉なのだろうと、私は思う。
あれもこれも過ぎたこと
過去のこと
一分一秒前も過去と言えるが、どこまでを今と言うかはあなた次第であって
だから
あなたを縛るくらいなら一旦過去に置いてみて
忘れたくない、忘れられない、忘れたい
どんな感情も今あるものから目を逸らさないために
過去があるから今があるのは当然
でも今があるから過去があるってことも、覚えておいてね
傷も不名誉も過去にしたら多少は食べやすくなるからね
なんでも食べて一緒に強くなりましょう
ね。
有り得ないことだらけだった。
誰かから伝え聞いた「普通の生活」なんてものとは縁もないし、そして多分その誰かは死んだ。
顔も名前も覚えていないからそうだろう。
そんな世界で生きてこられたのは、まさしく「奇跡」としか言いようがない。
振り返ればあまりにも多くの「奇跡」は起こっていた。
いや、起こしてきた。
起これば生、無ければ死
なら「無い」という事は無いとなる。
馬鹿げた主張だと笑えばいい。
手も足も出ない時は馬鹿げた事を言うしかないからだ。祈るしかないからだ。
「奇跡よ起これ、起これ」と。
後は魂が削れる程に祈るしかなかったから、いま僕たちはここにいて。
仮に祈らずとも助かっていたとて、魂を差し出せない生に意味なんてあるのだろうか。
そんなもの、助かったなんて言えるのだろうか。
詭弁だ。
それでも僕たちがこの両足で立つには必要な事なんだ。
と。
無は無だけでは成り立たない。有があってこその無だし、無があってこその有だからだ。
「無」は「有」るんだよ。
今年初の彼岸花と思ったら大量に枯れていた。