例えば、
これからも親友だと思った人と縁を切った時。
例えば、
ずっと好きだった人に裏切られた時。
私の時間は無意味だったかのように思えるのだろう。
あなたに尽くした時間は私になにも残してくれない。
残ったとしてもそれは『未練』という名の
『憎しみ』と『悲しみ』ばかり
今も、きっとそう
私は失われた時間の延長線上にいる。
いつまでも過去を引き摺って、
未来に希望を持てない。
きっと
こんな私を
誰も
愛しては、くれないんだろう。
わかってるよ。
子供のままでいれたらいいのに。
足の小指を勢いよくぶつけた時、指を挟んだ時。
よく、そう思う。
子供のままいられたらこんな時声を出して泣いてしまえるのに。
大人になって泣くと少し恥ずかしい。
だから強がるふりをして1人で泣く。
いつから人前で泣かない人になったんだろう。
人前で大泣きしている子供を見ると決まって
(私もあんなふうに泣きたいよ、)
なんて思う。
感情を表に出さないように振る舞う大人は
子供の頃の私にはかっこよく見えていた。
かっこいい大人になりたかった。
いざなってみた大人は、
年齢や立場が大人になっただけ。
中身は変わらない自分。
いつも余裕が無い、下向きな自分
私はいつも矛盾している。
大人になりたいと言うのに
子供のままでいたいと思う。
感情を失った大人になんてなりたくないのだ。
だから私は今日も、もがいている。
子供のままでいるために。
人にはきっと心の中に『コップ』が存在するんだと思う。
そのコップは人によって、
小さかったり大きかったり穴が空いてたり
私のコップはきっと最初は普通だったんだ。
でもある日そのコップ、誰かに割られちゃったんだ。
だからコップの代わりに両手を使ってるんだ
『愛をください』
そう言って愛を貰うんだけど
両手に1度注がれてその一瞬は満たされるんだけど
すぐ隙間から溢れちゃうんだ
だからずっと満たされるなんてことないんだ。
私の潜在意識。
私の心の中で私が叫んでる。
『もっと、ちょうだい
愛をちょうだい
喉が渇いてきたよ
なんで愛してくれないの?』
誰かへの愛を求めてる
入れ物もない両手で受けて
いつしか喉が潤う、その時を待ちながら
私は
愛を、叫ぶ
「○○って心無いよね」
そう言われた言葉がいつまでも、忘れられない。
そう言われた時、自分の中でもふっと腑に落ちてしまった。
誰かが傷ついていても共感できない。
だって、傷ついてるのは私じゃない。
誰かが悲しんでいても共感できない。
だって、悲しんでるのは私じゃない。
人の悲しみを想像することが出来ないわけじゃない。
ただ想像してその人のことを分かったようなことを言いたくないのだ。
でもその気持ちは他の人にはあんまりわかってくれない。
ただ、私は嘘をつきたくないだけなのに。
忘れられない、いつまでも。その言葉が私の頭の中にある。
うまく人と関われない時、
「私は心が無いからなぁ」それが口癖になった。
口癖になると本当に心が無いようになって
自分の気持ちさえもだんだんわからなくなっていった。
私は何が好きなんだっけ。
私は何がしたいんだっけ。
私なんでこんなところにいるんだろう。
誰かといれば相手に合わせて
1人でいれば寂しくって
いつからこんなめんどくさい自分になったんだろう。
あぁ あの時か
あの言葉を忘れられないから、私はこうなったのか。
今日も
明日も
過去も
好きになれない私へ
忘れないで、いつまでも
すべて、私だよ。
一年後、きっと私はこの世にいないかもしれない____
たまに思う。
私なんて生まれてこない方がよかったのかな、なんて
1番思う日は、自分の誕生日
日本は誕生日を祝う文化は最初はなかったらしい。
だから祝われないのが普通だと、
思ってしまえばそれまでだけど
何人かの友達から送られるbirthdayメッセージ
嬉しくないわけじゃない。
でも私が欲しいのはきっとこれじゃない。
1番欲しいのは母からの言葉だったのかもしれない。
「生まれてきてくれてありがとう」
ただ存在を、生きていることを褒めて欲しいだけなのに。
母は私を望んで産んだわけではないということを
思い知らされるようで
自分の誕生日はあんまり好きではない。
私はこんなに生きていくのに必死なのに
頑張って生きてるのに
それを認めてもらえないのが苦しい。
代わりを宛がっても意味が無いことをとうの昔に気づいている。
「あなたが私のすべて」だとたった1人に言って欲しくて
…あぁ 今年の誕生日も言ってくれなかったな。