風鈴との縁がない人生を送ってきました。
実家に縁側は…あるけど、風鈴なんて持っていませんでした。
最近は暑くて、文明の利器に頼り切りですから、
風鈴の音を聞く機会なんてありませんでした。
テレビから流れてくる風鈴の音、
「涼しい」という人々、
直接聞いたことの無い音でも涼しく感じるかと言われれば、
「涼しい"かもしれない"」と答える私がいる。
そう、"かもしれない"だけなのです。
結局私は、実際に見たことのないものに対し、
周りの感想に合わせて答えているだけなのです。
どこかで、「風鈴の音を日本人は涼しく感じるが、海外の人はどう感じるか」のような実験を耳にしたことがあります。
その結果、日本人は涼しく感じて、海外の人は逆に暑く感じたそうです。
実際のところ、日本人で本物の風鈴の音を聞いたことの無い人は少数だと思います。しかし、そんな人でも日本人なら、風鈴の音を聞くと涼しく感じると思います。
私たちは、「風鈴の音を聞くと涼しく感じる」を信じているからこそ、涼しく感じる"気がしている"のです。
いわゆるプラシーボ効果のひとつですが、風鈴というのは生活騒音でありながらも、近年の夏を越えるのに欠かさないものとして現代の日本人を支えているのです。
逃げようとしても逃げられない。
責任とはそういうもの。
逃げようとしても逃げられない。
大人ってそういうこと。
だから僕は諦めた。
大人になることを、大人であることを。
ぼくは子供になった!みんなとあそんでたのしい!
資料を整理しながら。
ぼくは子供になれた!宿題は面倒だけど学校はたのしい!
細かい数字の修正をしながら。
ぼくはこどもなんだ!じゆうでたのしい!
プレゼンをしながら。
あれ、ここってなんて言うんだっけ。
でも大丈夫、ぼくは自由だから。
じゆう……だから……。
失敗した会議を振り返らず、泣きながら家に帰る。
「もう……つかれちゃったな………」
人生は冒険や!とか昔に流行ったような気がする。私は流行に疎かったせいであまりついていけなかったけど、たしかにそうだなって思った記憶がある。
人生って難しいもので、ゲームみたいにセーブ&ロードも出来ないし、記憶も消えない。
レベルアップなんて無いし、死んだらどうなるか分からない。親がどうかで全て決まる時もあるし、決まらない時もある。
だから夢想する。こんな人生だったらどうなってただろうか、って。もう、そんなことは起こりえないのに。
本当に滑稽な人生。
本当に馬鹿な冒険。
「お願い!」
1タップ。
届いて欲しいこの思い。
あなただけを願ったこの気持ち。
返ってきたのは、
「!&+#*@?&」
思いは虚しく散った。
目から滑り落ちる文字。
全てをかけたこの思いは届かず、
私は全てを失った。
夕日を背中に彼女に向き直る。
ありきたりなデート、
ありきたりな前置き、
ありきたりなプロポーズ。
全てがありきたりで、
周りから見ればなんの特徴もないこと。
でも、僕たちにとっては特別な時間だった。
一生にこの一度しかないだろう一瞬。
今でも、あの日の景色を思い出せる。