なーんか、デジャヴなんだよなあ。「君と見た景色」って、割とありきたりな言葉だから、どこかで見たことがあるのかも。小説、歌、それとも何かのキャッチコピーか?
日常の中で見られる景色というのは限りがある。限られた空間でしか生きていないから。学生なら、家の中、登校中、校内くらいしか見られる景色はないだろう。特殊な経験をすることがあまりない。だから、平凡な景色しか見ることができない。それは別にいい。それほど平穏な毎日だということだから。しかし、たまには、山に登って、海へ行って、空を飛んで、古代の神秘に魅せられて、素晴らしい景色を見てみるのはいかがだろう。
平穏な毎日は飽きる。どこか遠くへ。ほら、そこでスマホをいじっている君。僕と一緒にいつもと違う一日を過ごさないか。僕と素晴らしい景色を見に行かないか。
「手を繋ぐ」という行為が一体何を意味するのか。握手、平和、交友……色々と思い浮かぶ。が、やはり一番しっくりとくるのは平和。手を繋いで、認め合ってこの世界を形作っていこう。そんな意思が感じられる。
今年は終戦から八十年の節目。戦争を経験している人は日本にはあまりいないだろう。御歳九十歳の方でさえ終戦当時は十歳なのだ。あと三十年かそこらで、日本から恐ろしい体験をした人はいなくなってしまうかもしれない。そんな時、僕達には何ができるか。当事者の方の話を脚色せずに、ありのままの姿を次世代に伝えていくことではないか。それを世界に発信することではないか。
勿論、それで世界平和が実現してみんなハッピー、などとは微塵も考えない。でもそれが、互いの気持ちを意識して手を繋ぐきっかけになってくれたら、なんて考える2025年。
どこ?この疑問はとても深いのである。お分かりだろうか。単に場所を訊いているわけではない。所属も訊けるのだ。画期的な質問である。
例えば、「貴方、今どこにいるの」これは場所を訊いている。「貴方、出身大学はどこなの」これは大学の場所を訊いているわけではない。こう訊かれて「駅前」と答えるやつは、まあいないだろう。場所はどこか。どこに所属しているのか。「どこ」。この二文字だけで二つのことを訊けるのだ。これが日本語の奥深い所であり、難しい所でもある。
貴方はどこにいるの?いや、住所じゃなくて。どんな立場で、どんなキャラで、どう生きているの?どこ?この言葉は貴方が思うよりもっと深くにある。
大好きな曲を聴きながら、大好きな食べ物を食べて、大好きな仕事をして、大好きな人と暮らす。大好きなアニメをみて、大好きな本を読んで、大好きな趣味をする。
誰もが一度は思い描く幸せな日々である。大好きなことばかりをして過ごす。しかし、そんな都合の良い日常は多くの人々には訪れない。この世界に他人と共に生きている以上、自分は何かを我慢しなければならないし、小さなストレスは確実に溜まっていく。僕も、毎日がゲーム三昧というわけにはいかない。勿論、息抜きも大切だが、高校への準備、予習、復習、受験勉強、、、やらなければならない「義務」は目白押しである。
これをやらなければならない、と考えてはダメなのだ。「義務」が大好きなものになればいい。大好きなことは進んでできる。楽しくなる。何でもかんでも前向きに考えれば、世界は大きく開ける。
やはり僕くらいの年齢になると「将来の夢」というものをよく訊かれる。それを叶えるために高校ではどんな努力をするか、が大半である。
自分の将来のことなので、ある程度実現可能なものでなければならない。例えば、僕が今からサッカー選手になりたいといったって、まあほぼ無理である。それを夢にしたって、はっきり言って無駄。少しはっきり言い過ぎた。無駄ではないが、サッカー選手に今からなろうとしても、可能性は皆無。そのために努力してきた時間をドブに捨ててしまうということもあるかもしれない。それを実現できるとしたら、天才である。
それでも叶えたいと思うなら、まず、ゴールへの道筋を立てる。そこから小さなタスクを一つ一つこなしていくことが大切。休む暇はない。思い立ったら立ち上がって、走るのだ。叶うことが難しくとも、叶わない夢はない。