子供は皆、所謂「たかいたかい」と云われるものが好き、というのは、嘘である。何故大人は子供には問答無用でたかいたかいをしたがるのか。
もっと、もっと高く高くたかいたかいをしたい!そんな輩もいるが、僕からしたら迷惑な話。高い場所が苦手な子供にとって、たかいたかいは天敵なのだ。しかし、最近は一概にそう、とはいえない。最近の赤ん坊は小さい頃から高いビルに住んでいて、高所への恐怖心がなくなってきているらしいのだ。2階建ての借家に住んでいた僕からすれば、関係のない話だ。
高く高くというお題でたかいたかいのことを書いた人は僕以外に誰がいるだろう。僕はただ、たかいたかいが苦手な子供もいるということを知ってほしかったのだ。(これらは全て個人の感想であり、これにより負った損害を保証することはできません)
子供のように気楽な心を持って、子供のように夢を持って、子供のようにひねくれて、子供のようにはしゃいで、、、いいなあ、子供は(って、子供が言っています)。
中3はもう、大人なのか。ただ、この年で子供の頃はこうだったなぁと語るのもどうかと思うので。でも、子供のような純粋さは失いたくない。大人になるなら汚れていく物で、それは当たり前。そりゃあそうとツッコまれそうだけど、それでも完全に汚れた大人にはなりたくない。そういや昔、「無垢」っていうお題で無垢なのはいいけど、少しくらい汚れていても良いよねみたいなこと書いたっけ。それはそうだけど、無垢な所があるっていうことが前提だからね。
子供のように純粋でいるだけでは生きていけない。完全に汚れてしまえば楽しく生きていけない。ううん、難しいや。
放課後。放課後?そんな物、僕にあるはずないじゃん。友達と約束して、カラオケ行って、勉強して……そんな理想の中みたいな放課後なんて、あるわけない。
そもそも、理想の放課後。それ以前に普通の放課後さえ送られていない。そもそも学校に行っていない僕。今日も通信制高校の学校説明会に行ってきた。全日制=普通ではない。通信制、あるいは定時制の高校へ行ったら理想に描くような放課後は過ごせないかもしれない。しかし、それはそれでいいじゃん。そう開き直ったら、今まで考えていた「普通」が間違っていたのだと気付かされる。
もう、学校を絞らなければいけない時期。それに照準を合わせて勉強しなければいけない時期。例え、俗に言う「普通の放課後」を送れないとしても、決して悲観しない。
小さい頃、カーテンに巻き付くのが好きでした。カーテンを裂くのも好きでした。ええと、ヤンチャだったんだな、と感じました。
カーテンとは常に要る物ではない。西日が入ってくるなら要るけど、日を浴びたいなら、邪魔なだけ。人々は日を浴びたい時はカーテンなんかいらないというのに、西日を遮りたい時はカーテンがほしいと言う(実際、そんな人はいないだろうけど)。あくまでこれは例えで、こういう状況だから、彼が必要。でもその状況が転じたらポイっていう人、結構居る。戦略と言われればそれまで。でもその後の「彼」の生活は?カーテン君は捨てられちゃう?そんなことまで考えられるだろうか。
ブラインドっていうのかな?僕の部屋はカーテンじゃあない。でも、カーテンに感情移入してしまった僕。カーテン君、また、いつか会おうね。
ええと、すまん、投稿遅れた。涙の理由はそういうことです。まぁ、謝罪も終わったことだし、本題に入りましょう。
最近は涙を流したことがないなあ。一番最近だと、ドラえもんの映画で感動した時、、、6年くらい前……?そんなに泣いてないか?まず、涙を流す理由がない。昔は怒られたり、色々な理由で泣いていたけど。殴られて、家から締め出されて、、、うぅん、かなり壮絶。幼い頃は本当に些細なことで涙を流していた。今は泣く理由がないもんなあ。そう、涙を流す機会がない。
たまには、涙を流す理由を、無理矢理でもいいから作ったらいいかも。泣くことは悪いことじゃあないし、沢山泣いて、ストレスを発散しましょう。