僕は向かい合えているだろうか。心と、信念と、想いと、、、
結局、心と向き合うというのはどういうことだろう。こうして、「自分の中にあるモノ」を擬人化することはよくある。……自分の胸と相談する。心と会話する。想いが突き動かす。ざっと思い浮かんだだけでこれだけある。それらと同じようなものではないか。自分の意思は自分が持っているし、自分の心も自分が持っている。だとするなら、向き合っても「ここはこうした方がいいんじゃない?」「やっぱり君もそう思う?そうだよね」……確認作業にしかならないのではないか。反対意見の人(人?)と向き合ってこそ意義がある。
だからといって、無理矢理反対意見を持つ人と向かい合わせても、喧嘩になるだけ。これだけ難しいことを考えても、何もわからなかった。自分自身と向かい合うって、どういうこと?
やるせない気持ちとは、どんな気持ちだろう。国語辞典には、遣る瀬ない……気持ちがみたされないで、辛いことらしい。
ううん、凄いことをしたのに褒められない時は遣る瀬ないかなぁ。承認欲求っての?褒められないのは一番辛いかなあ。ただ、中々遣る瀬ない気持ちになることはない。それって、「気持ちの満たされるハードル」が低いのかも。それはそれで幸せかも。だって、些細なことに「幸せ」を見出だせるのだから。でも、それでもやっぱり褒められない時は辛い。何でかは分からない。
もしかして、どんな時に遣る瀬なくなるかは人によって違うのかも。だとしたら、僕は承認欲求の塊ってこと?ちょっと、ショックかも。
海へ還るという表現がある(少なくとも僕は聞いたことがある)。生命の源は海なので、これは原点に帰るという意味だろう。
そう僕も海へ還らなければならない。なぜなら、、、最近この文章を書く時、雑なのだ。昨日に関しては、テキトーすぎて、謝ってしまった。ただ、最初からこんなだった訳ではない。最初の頃はめっちゃ、言葉を選んで、丁寧に一つ一つ、30分くらいかけて文章を書いていた。それが今や、15分……。えぇ、今思うと、僕は陸に上がりすぎたのかもしれません。
明日から、頑張って、魚になります(ほら、テキトーなの、そういうトコ)。
テストで事件が起きた。うちの中学校のテストは解答用紙と問題用紙に分かれているのだが、だからこそというべきか、英語の授業で「それ」は起きた。
(再現)
(よぉし、テストも終わったし、次のテストに向けて勉強するか。)
テストを隅に寄せる為用紙を持つ男の子(これが僕)。
(あぁああっっ)「っ」
裏にも解答がありました。
隅に寄せる時、裏返しにしなければ、気付かなかったかも。
皆さん!何事も裏があるので、ご注意を。
えぇ、今回はテキトーになってしまい、申し訳ございませんでした。でも、ほんっとに、思い浮かばなかった。
明日からは、ちゃんとやります。
鳥のように羽ばたいていく人になってほしい。羽ばたくというのは、別に羽が生えて、空に飛んでいくというわけではなく、擬人語ということだろう(鳥だから、擬鳥語か)。
関係ないが、「鳥葬なう」とはどういうことなのだろうか。調べても出てこないのだが、、、誰か、教えてください。いや、まじで関係ない話だったな。
例えば、今SASUKEのワールドカップが開かれている。これに出ている人は、生まれた時、世界大会に出ると予想できただろうか。なんなら、去年でだって予想できていなかった筈だ。……つまり、いつ羽ばたいていくか、わからないのだ。
あなたも、明日にはニューヨークあたりで講演を行うかもしれない。僕だって。だって、人生には、「まさか」があるのだから。