さよならを言う前に、これだけ言わせておくれ。
ここで表現される「さよなら」は別れであることが多い。今生の別れ的な。そりゃ、「さよならを言う前にこれだけ言わせておくれ。また明日も遊ぼうな」こんなことを言われた日には、明日会う気も失せる。
僕はさよならを言う前に何かを言ったことがない。なんなら、さよならさえ言わない。突然消える。だから別れの時、何と言えばいいのか分からない。洒落たことでも言えばいいのか。詩でもプレゼントすればいいのか。やはり、僕は誰にも見送られず、一人で別れたい。さよならも言わなくていい。一人で歩く人生が合っている。
小学校の卒業式はどうだっただろうか。違う中学校に行く友人にはさよならを言っただろうか。淡い記憶の隅っこにある「さよなら」を掘り返していきたい。
今日の空模様は少し怪しげ。風も吹いていて、今にも雨が降ってきそう。でも、一般人の僕からしたら、だから何?だって、雨が降ろうが、晴れようが、することは変わらない。ゲームして、勉強して、テレビを見る。
じゃあ、天気予報って、いる?見るのは漁師の人か農家くらいじゃない?って思ったけど、すぐに気付いた。洗濯は?お出かけは?台風の情報も欲しい。結局、天気予報は必要ないと思ったのは、僕の自己中心的な考え方からだった。僕だって、天気予報を見たいときがある筈だ。例えば、鳥取に旅行に行ったときとか。自己中心的な考え方は嫌われるからなぁ。気を付けないと。
そう考えたら、天気予報士の人が格好良く見えてきた。じゃあ、僕も明日の空模様を読みます。
明日は、快晴!
鏡を見るとムカムカする。別に自分がブサイクなのが嫌とかそういうのじゃなくて。自分のことを不細工と思ったことはない。でも、なんか嫌になる。
何でだろう。それで鏡を見てみると、自分の顔を殴り飛ばしたくなってきた。ううん、自分の顔が嫌いって訳ではないと思うんだけど、、、ただ、自分の顔を他人に見られたくないことはある。対人症の一種だろうか。でも、それは関係ない気がする。
さっきから自分自分うるさいと感じる人も多いかもしれない。そう、鏡は「自分」を映す物なのだ。容姿だけではない。人の中身もである。
……もしかしたら、鏡を見て、自分の容姿ばかりを見ている僕にムカついているのかもしれない。中身をみようとしない自分に――。
いつまでも捨てられないもの。本。
いつまでも捨てられないもの。過去。
捨てようと思えば捨てられる。本なんて、ここから数十メートル離れたゴミ捨て場に放り投げれば済む。じゃあ、捨てることで得をするかっていうと、しない。本を捨てられない理由は、まだ読みたいから。
捨てようと思っても捨てられない。過去はずっと僕の頭にこびりついて、離れない。義務だってそうだ。僕の中にあるほのかな正義感が捨てることを許してくれない。過去を捨てられない理由は、まだ理想の中に浸っていたいから。過去を一所懸命に美化しようとする自分に腹が立つ。
いつまでも捨てたくないもの。尊厳。
いつかは捨てなければならないもの。自分。
誇らしさは大切な能力だと思う。それは自信に直結している。ただやりすぎると、何コイツ、うざ。と思われてしまう。これを傲慢という。
例えば、「ボクチン、おフランスに旅行に行ったんだ。ま、君たち庶民には縁のない話だと思うけど、HAHAHAHA」これが誰の台詞か、分かる人もいるだろう。これは、自分が金持ちであることを誇り、他人を馬鹿にしている。これを高慢という。だから、この話を聞いた主人公は、不快な気持ちになる。
対して、自分を誇らなすぎるのも考えものである。例えばずっと、僕なんか、僕なんかと呟いている人と関わりたいと思うだろうか。
つまり、「良い匙加減。」これである。この規則を守れば、大体は上手くいく。一つ一つの言葉に気を付けて、相手を思いやることが大切なのだ。