テストで事件が起きた。うちの中学校のテストは解答用紙と問題用紙に分かれているのだが、だからこそというべきか、英語の授業で「それ」は起きた。
(再現)
(よぉし、テストも終わったし、次のテストに向けて勉強するか。)
テストを隅に寄せる為用紙を持つ男の子(これが僕)。
(あぁああっっ)「っ」
裏にも解答がありました。
隅に寄せる時、裏返しにしなければ、気付かなかったかも。
皆さん!何事も裏があるので、ご注意を。
えぇ、今回はテキトーになってしまい、申し訳ございませんでした。でも、ほんっとに、思い浮かばなかった。
明日からは、ちゃんとやります。
鳥のように羽ばたいていく人になってほしい。羽ばたくというのは、別に羽が生えて、空に飛んでいくというわけではなく、擬人語ということだろう(鳥だから、擬鳥語か)。
関係ないが、「鳥葬なう」とはどういうことなのだろうか。調べても出てこないのだが、、、誰か、教えてください。いや、まじで関係ない話だったな。
例えば、今SASUKEのワールドカップが開かれている。これに出ている人は、生まれた時、世界大会に出ると予想できただろうか。なんなら、去年でだって予想できていなかった筈だ。……つまり、いつ羽ばたいていくか、わからないのだ。
あなたも、明日にはニューヨークあたりで講演を行うかもしれない。僕だって。だって、人生には、「まさか」があるのだから。
さよならを言う前に、これだけ言わせておくれ。
ここで表現される「さよなら」は別れであることが多い。今生の別れ的な。そりゃ、「さよならを言う前にこれだけ言わせておくれ。また明日も遊ぼうな」こんなことを言われた日には、明日会う気も失せる。
僕はさよならを言う前に何かを言ったことがない。なんなら、さよならさえ言わない。突然消える。だから別れの時、何と言えばいいのか分からない。洒落たことでも言えばいいのか。詩でもプレゼントすればいいのか。やはり、僕は誰にも見送られず、一人で別れたい。さよならも言わなくていい。一人で歩く人生が合っている。
小学校の卒業式はどうだっただろうか。違う中学校に行く友人にはさよならを言っただろうか。淡い記憶の隅っこにある「さよなら」を掘り返していきたい。
今日の空模様は少し怪しげ。風も吹いていて、今にも雨が降ってきそう。でも、一般人の僕からしたら、だから何?だって、雨が降ろうが、晴れようが、することは変わらない。ゲームして、勉強して、テレビを見る。
じゃあ、天気予報って、いる?見るのは漁師の人か農家くらいじゃない?って思ったけど、すぐに気付いた。洗濯は?お出かけは?台風の情報も欲しい。結局、天気予報は必要ないと思ったのは、僕の自己中心的な考え方からだった。僕だって、天気予報を見たいときがある筈だ。例えば、鳥取に旅行に行ったときとか。自己中心的な考え方は嫌われるからなぁ。気を付けないと。
そう考えたら、天気予報士の人が格好良く見えてきた。じゃあ、僕も明日の空模様を読みます。
明日は、快晴!
鏡を見るとムカムカする。別に自分がブサイクなのが嫌とかそういうのじゃなくて。自分のことを不細工と思ったことはない。でも、なんか嫌になる。
何でだろう。それで鏡を見てみると、自分の顔を殴り飛ばしたくなってきた。ううん、自分の顔が嫌いって訳ではないと思うんだけど、、、ただ、自分の顔を他人に見られたくないことはある。対人症の一種だろうか。でも、それは関係ない気がする。
さっきから自分自分うるさいと感じる人も多いかもしれない。そう、鏡は「自分」を映す物なのだ。容姿だけではない。人の中身もである。
……もしかしたら、鏡を見て、自分の容姿ばかりを見ている僕にムカついているのかもしれない。中身をみようとしない自分に――。