いつまでも捨てられないもの。本。
いつまでも捨てられないもの。過去。
捨てようと思えば捨てられる。本なんて、ここから数十メートル離れたゴミ捨て場に放り投げれば済む。じゃあ、捨てることで得をするかっていうと、しない。本を捨てられない理由は、まだ読みたいから。
捨てようと思っても捨てられない。過去はずっと僕の頭にこびりついて、離れない。義務だってそうだ。僕の中にあるほのかな正義感が捨てることを許してくれない。過去を捨てられない理由は、まだ理想の中に浸っていたいから。過去を一所懸命に美化しようとする自分に腹が立つ。
いつまでも捨てたくないもの。尊厳。
いつかは捨てなければならないもの。自分。
誇らしさは大切な能力だと思う。それは自信に直結している。ただやりすぎると、何コイツ、うざ。と思われてしまう。これを傲慢という。
例えば、「ボクチン、おフランスに旅行に行ったんだ。ま、君たち庶民には縁のない話だと思うけど、HAHAHAHA」これが誰の台詞か、分かる人もいるだろう。これは、自分が金持ちであることを誇り、他人を馬鹿にしている。これを高慢という。だから、この話を聞いた主人公は、不快な気持ちになる。
対して、自分を誇らなすぎるのも考えものである。例えばずっと、僕なんか、僕なんかと呟いている人と関わりたいと思うだろうか。
つまり、「良い匙加減。」これである。この規則を守れば、大体は上手くいく。一つ一つの言葉に気を付けて、相手を思いやることが大切なのだ。
夜の海を見ると、恐怖を感じる。なんだか、飲み込まれそうで、どこか、知らない場所に落ちてしまいそうで、、、
ただ、怖いことばかりではない。例えば、夜空の星が海に映っているのは綺麗だ。いや、もしかしたら、同時に、それが怖いのかもしれない。綺麗すぎる。なんだろう、言葉で表せないな。
――波の音に、風に、白波に、映る星空に、どこからか聞こえてくる鳥の鳴き声に。飲み込まれそうで、怖いのだ。自分の存在が小さく見えるのが、怖いのだ。しんと静まり返った場所で、信じられないほど冷静でいる僕が、怖いのだ。
今、夜が明ける。海は照らされ、月が沈む。恐怖心は薄れ、そこに残るのは清々しさと、後味が苦い後悔だけだ。どちらにしろ、今日が始まる。――海が眩しい。
自転車を僕は持っていない。中学校も比較的近いし、基本、生活は家の中で完結する。自転車がなくとも、僕は生活に困らない。
ただ、自転車に乗って、風に吹かれている人を見ると羨ましいと思う時がある。いいなあ、僕も乗ってみたいなあ。格好いいなぁ。「基本、生活は家の中で完結する」とは言っても、外出したい時もある。歩くのと、自転車とじゃ、移動範囲が全然違う。電車に一人で乗れないような僕は、未成年だから、車も乗れないし、、、だったら、歩きか、自転車かの2択になる。まぁ、そうなら、移動範囲の広い自転車の方がいい。自転車に乗って、どこへ行こうか。ショッピングセンターかな、遊園地かな。動物園にも行ってみよう。そんなことを考えてみたい。
でも、自転車は乗らないだろうなあ。やっぱり僕には陰気な家がお似合いだ。そうはいっても、自転車に乗って、風を切って、進んでいく。……憧れるなあ。あ、いや、クロスバイクとかじゃなくて。
長生きの秘訣は、映画を見て、ゲームして、好きな物を食べて、楽しむ。大切なのは心を大切にすることだと思う(って、14歳が言っています)。
身体の健康と心の健康。身体の健康に気を付けると、心の健康が疎かになりやすい。だからこそ、リラックスしながら健康を保てる方法が重要視される訳だ。僕は食べたことがないのだが、「完全メシ」というのもその1つだろう。大ヒットしたこの商品も美味しいのに、栄養バランスが取れるという。え?それなら完全メシだけ食べとけばいいじゃん、と思ってしまうのだが。まぁ、野菜とか、食物繊維とか取らなきゃいけないんだろうなあ。
少し話が逸れたけど、映画見て、アニメ見て、おやつ食べて、ゲームして、旅行行って、でも、運動もして、栄養のある食材も食べる。よし、みんなで、長生きしよう!