終点とは。電車やバス、列車などが最後につく駅や停留所らしい。ただ、移動手段に関わらず、終わりを終点と表すことがある。
人生の終点。人生において、最後につく場所ということだろうか。これは、死を意味する。そう解釈して良さそうだ。いや、本当にそれでいいのか。終点というのはそんなに虚しい言葉だったか。別に、生物の終わり=死という訳ではないのではないか。これは、僕が直感的に感じただけのことである。勿論、人それぞれ受け取り方は違うだろう。それを踏まえたうえで、僕の考えを聞いてもらいたい。
人生の終わり。終点につくと、死ぬのではなく、悟るのではないか。こういう、限られた人にしか響かない表現は嫌いだが、これ以外、表し様がない。ただ、これだけ引っ張っておいて、「悟る」の2文字というのは、悲しいかもしれない。しかし、僕は、終わることを悲観的に捉えていないことを知っておいてほしい。
上手くいかなくたっていい。だって、挑戦することに意味があるんだもん。つまずいてもいい。また、立ち上がることができるなら。
お題をみた時、この文章が真っ先に思い浮かんだ。こんな文を見たことがあるのだろうか。思いつく限りでは、ない。それともテレビか何かで見たのか……。ただ、この数文は人生の浮き沈みを表していると思う。いつか、母さんが言っていた。「人生には、3つの『さか』がある。登り坂と下り坂、あとは、まさかだ。」言葉の真意は分からない。ただ、成功を登り坂、失敗を下り坂と考えると、まさか、こんなことで?!ということで、人生は登り坂にも、下り坂にも転じるということか。
上手くいかなくたっていい。「まさか」があるかもしれない。人生が下り坂になったなら、また、「まさか」を願って、気長に待てばいいのだ。
蝶よ花よ、我に力を与えたまえ。、、、そんな台詞は聞いたことがないが、探したらどこかにありそう。本当に○○よ、我に力を与えたまえって色々な種類がある。
神よ、我に力を与えたまえ。全ての精よ、我に力を与えたまえ。我の祖先よ、我に力を与えたまえ。そんなに力をもらって何をするんだという話だが、何らかの敵を倒すんでしょうなあ(割とテキトーで、すみません)。
そういえば先程の地震、怖かった(揺れてないけど)。ただ、南海トラフの大きな地震の範囲に入ってそうなので、不安ではある。今日、家族と話してみようか。本当に力を与えられるべきはそういう時ではないか。
まさか、蝶よ花よ、という題からこんな話になるとは思ってなかったが、本音を言うと、、、
「蝶よ花よ」って、何?!
僕達の運命は最初から決まっていたんだ。
んな訳ねぇだろ、と突き飛ばしたくなる。最初から決まっている?そんなことがあってたまるか。
なぜそんなに苛つくのかは分からない。ただ、最初から人生も、才能も、運命も全て決まっていたとしたら、同時に生まれた時から限界が決まっていることになる。いくら努力しても、天才で金持ちのお坊ちゃんには勝てない。そんなことが生まれた時から決まっている。なんか、嫌だ。よく、自分の限界は自分で決める。とか言う人がいる。僕もそう思う。自分の限界は他人なんかに、まして運命とか言うあるかどうか定かでもないようなものには決められたくないと思ってしまう。
こんな性格だから、他人に制限されるのはとても嫌だ。運命を信じるのは自由だし、僕も信じる時がある。でも、自分の運命を自分の人生には持ち込みたくない。
太陽のような人、とはどんな人だろう。明るい人?優しい人?確かにそれもある。太陽のように明るく、太陽のように優しく包みこんでくれる。
そんな人に出会えたことがあるだろうか。僕の知る限り、いない(というのは少々上から目線だろうか)。僕も含め、みんなが冷たい部分を持っている。どこから、どのように見ても太陽みたい、などありえない。僕の持つ冷たい部分は?人に冷たく接してしまう時はある。他にも、人によって態度を変える人もいる。自分に厳しすぎる人もいる。
太陽のような人とは、自分に自信がある人ではないか。他人に明るく接することができるのも、自信があるから。他人に優しく接することができるのも、自分に余裕があるから。完全に太陽みたいにはなれないかもしれない。でも、コツコツ、自分を温めることができる筈だ。