僕は孤独で、それが好きだ。確かに誰かに話を聞いてほしい時もあるけど、基本、一人で居たい。まぁ、その時間は大抵本を読んでいるんだけど。
そういえば、何で僕は一人で居たいのだろうか。落ち着いて読書をしたいから?……いや、違うな。多分僕は人と関わるのが苦手だ。前の投稿でも書いたことがあるけど、昔は近所の子どもと一緒になって遊ぶような、割とやんちゃな子どもだった。ただ、ある日を境に遊ばなくなった。何があったのかは分からないけど、多分、やんちゃでいることに疲れた。だから、別に一人でいることが悪いことではない。
僕が一人で居たいのは、読書をしたいからでもなく、人が嫌いだからでもない。僕は一人で居たい。だから、一人で居たいのだ(意味、わかるかな)。
澄んだ瞳、、、心に濁りのないということか。濁りのない瞳でこちらをみられたら、少したじろぎそうだ。でもまぁ、僕自身が澄んだ瞳を持っている訳だし……
昔、「無垢」っていうお題で、純粋な心を持つ人などいない。純粋に見える人は、濁った部分を隠すのが上手い。みたいなことを書いた気がする。それと同様で、澄んだ瞳を持つ人もいないと思う。
目は口ほどに物を言う。コロナ禍でマスク続きだった時にも意思疎通ができたのは、瞳で感情を表現できたから。瞳を見れば、その人が不快に思っているか、楽しんでいるか、ある程度分かる。ただ、人は不快に思っても笑っていようとする。だから、相手が澄んだ瞳をしているか、濁った瞳をしているかで僕は対応を変える。まぁ顔色を伺う。そういうことも大切かもしれない。
お題を見て、やっぱり、嵐って、凄いのかなあと思った。凄い風が強くて、凄い怖いのかなあ。
嵐っていうのは、荒れ狂って吹く激しい風、とか、雨を伴った強風という意味らしい。じゃあってんで、台風は最大風速が17メートル以上の熱帯低気圧。……てことは、嵐には明確な定義はないのか?実は、こういう、定義を伴わない、いわば文学的な表現は多い。人の感覚に委ねられる物で、突き詰めれば、「暑い」だってそうだ。気温0度で暑いって言う人もいれば、100度でも平気って言う人もいるかも(ちょっと誇張しすぎたかも)。
こういう文学的な表現を含んだ文。もしかしたら、「嵐が来ようとも君を守るよ」その発言をした人と「君」とで感覚的な相違があったら、「嵐が来ようとも君を守ると言っただろう?」「これくらい嵐でも何でもないよ」というような会話があるかもしれない。文学的な表現は安易に使わないほうがいいかも。
僕の街では、頻繁にお祭りが行われる。これでもかっていうくらい花火が打ち上がる。またするらしくて、テレビCMがよく流れてくる。
結局、お祭りって、なんの為にあるか。街の活性化だと思う。特にこの田舎にとっては、お祭りが大切な観光資源だ。この夏休みに2回、大きな花火大会がある。書きすぎると住んでいる街がわかるかもしれないので、これ以上、書かないが(住所を詮索するなど、野暮なことを考えないように)。花火は、見る分には綺麗だが、周辺に住んでいる僕みたいな住民にとっては、少し、うるさい。
なんだかんだ言いながら、街が盛り上がることは、僕も嬉しい。どんどん花火を打ち上げまくれぇ!……とまでは言わないけど、お祭りが楽しいのはいいこと。この夏も、みんなで盛り上がりましょう。
神様が舞い降りてきて、こう言った。
「お前の名前は今日から誘喜だ。」
つまり、NoNameから、「誘喜」という新しい名前にしたのは、神様だ。神から授けられた名前だ。えぇと、神様によると「喜びを誘う」という意味らしい。僕は、ペンネームに本名を使いたくない。しかし、漢字は違えど、僕の名前は「ゆうき」。漢字は違うでしょ、ということで、神様はこの名前を僕に与えた。なので、この神聖な名前を一生大切にしようと思う。
自分に名前をつける機会など、そうない。本名と誘喜を併用して、これから生きていく。