テレビに出てくるような人。あの人は何を見ているんだろうか。やっぱり、僕みたいな人には想像できないんだろうなあ。想像してる暇があったら、勉強でもしなさい。……受験生だし。
僕の視線の先には、金八先生がいる。金八先生は何を見ているんだろうか。どんな子供時代を過ごしたらこんな人生観になるんだろうか。なんでこんなに熱心になれるんだろうか。生徒を殴るなんて発想に至るんだろうか。勿論、今やったらアウトだろうな。でも、こんだけ熱かったからヒットしたんだろうけど。
金八先生の視線の先、、、僕にも想像できる。生徒しかないんだろう。案外、自分とはかけ離れているように見える人でも、視線の先は同じなのかも。
あなたは今、何を見ていますか?
「なんで私だけ……」この言葉をプラスの意味で使っている人など、みたことがない。なんで私だけこんな惨めったらしくならなければならないのか、なんで私だけ怒られなければならないのか、なんで私だけ、、、
自分だけに不幸が降りかかると、人は仲間を探したがる。他に怒られている人、いないかな、寂しがっている人、いないかな。仲間を見つけると、さも自分は違うというように、仲間を下に見る。僕が「見る」などと断言するのは珍しい。僕も同じ体験をしているから、そんなことを言えるのだ。
自分1人だけがこんなに不幸なのは嫌だ。だったら誰か道連れを作ろう。……それが決して利益につながる筈がないのに。私だけ、私だけ、私だけ、、、そんな時は何か秘密を作ればいい。私だけがこの秘密を知っている。他の誰にも共有したくない秘密を私だけが。
僕は2日前の夕飯を思い出せない程、忘れっぽい。したがって、遠い日の記憶など、思い出せる筈がない。……遠い日というと、幼稚園の記憶になるだろうか。
1人の少女がくじ引きを持って、大声で何か言っている。
「はずれなしのくじ引きだよー」
それを見て、(え?はずれなしって、面白くないじゃん)と思う少年――これが僕だ。どうやら、幼い頃からひねくれていたらしい。これが、唯一覚えている、遠い日の記憶。その映像まで、詳細に思い出せる。それだけ印象的なことがあったのだろうか。それは分からない。
もしかしたら、自分の今の性格を忠実に表しているからかもしれない。遠い日の記憶など、そんなものなのだ。
僕は無心で空を眺めるタイプだ(そんなタイプ、あるのか?)。……要するに空を見たからといって、何か心に浮かぶことなど、ない。
逆に、空を見て、何を思えば良いと言うのだ。人生について、何か考えれば良いのか。もしくは、雲が○○みたいな形だなぁとか、空が赤くなってきたなぁとか、考えるのか。やはり、僕は何も考えずに空を見たい。
梅雨末期の空は曇っている。果たして、人々はこの空を見て何を思うだろう。僕は、、、あぁ、もう少しで雨が降るなあとしか思わないだろう。あなたは、何を思い浮かべる?
もう、こんなこと、終わりにしよう。時間の無駄だ。もう、……終わりにしよう。そんな時間があったら、勉強をするんだ。ゲームなんて、終わりにしよう。
小学3年生から続けてきたこの習慣を終わるなんて難しいよなあ。もしかしたら、ゲームによって大切な経験を得られるかもしれない(そこまではないだろうけど)。とにかく、ゲームをやりたい。これを書いている間、ここまでステージ進められるよなあ。でもこれは、依存していく悪循環。もう、この循環は終わりにしよう。受験生だから、勉強しよう。いや、夏休みからやろう。
もう、この文章も終わりにしよう。ゲームは息抜き。勉強は頑張ろう。もう、これでいいじゃん。こういうテキトーなトコも僕の強みだ。