入道雲は積乱雲の昔からの言い方。これはにわか雨や雷を起こすらしい。入道雲がモクモクと出来ると、まさに夏という感じがする。
ただ、入道雲は局地的に大雨をもたらす恐れがあるため、海なんぞで見つけようものなら、すぐに屋内に逃げた方が良いかもしれない(あくまでも、個人の見解です)。
やはり、気象などの自然現象は季節を表しやすい。僕は、こういう、普段、何気なく見るような自然の美しさに目を向けた方が良いのかも、、、
夏。今は梅雨真っ只中なので、夏という実感はない。ただ、やはり暑い。30度を毎日のように超えている。……「季節」を感じるのはやはり暑いか寒いかだろう。
僕は夏は暑がりに、冬は寒がりになる。とても、とても不便な体質だ。ただ、その分、季節を感じやすいかもしれない。これでいえば服装も大切だ。夏は半袖が良い、だけではない。「撥水性」も必須だ。突然、大雨が降ってもらっても困る。
夏はとにかく、撥水、撥水、撥水。あとは、涼しい格好で。服装はこれが大切だ(って、親に服を選んでもらっている人が言っています)。
あともう少しで高校生。大学に入ったら、一人暮らしをしてくれと親に頼まれている。一人暮らしするとしたら、どこだろうか。
今、住んでいる場所から離れることはないだろう。せいぜい、隣の、また隣の市くらいか。また、「ここではないどこか」で、新しい生活を送るだろう(上京だけは一生しないと思う)。まさか、何十年後も実家暮らしということはないと思うが。
一人暮らしということは、バイトもしなければ。大学に入るなら、どんな勉強をしているだろうか。ちゃんとご飯は食べているだろうか。借金をこしらえてはいないか。
どんな生活をしているかは分からない。ただ、数年後、ここではないどこかで、僕は生きている。
過去、僕は友達がある程度いた。ただ、過去の友達の多くとは、今、疎遠になっている(結果、今はひとりぼっちなのだが)。
その友人達と最後に会ったのはいつだったっけ。中学生になった途端、話さなくなった、1年先輩の友達は?別の小学校に行ってそれきり会っていない幼馴染は?いつの間にか学校に来なくなった友達は?……少し考えてみたが、思い出せない。彼らは僕にとって、その程度の存在だったのか?
違うだろう。一人一人が僕の人生の糧となってくれた、大切な存在だ。では、なぜ最後に会った日を思い出せないのか。
――君と最後に会った日より、君と過ごした日々の方が大切だから。
繊細とは、上品だ、とか、ほっそりとしている、とか、そういう意味があるらしい。「繊細な花」とは、
上品な花ということだろうか。
花についての知識はさほどない。薔薇、紫陽花、タンポポ、、、頑張ればもう少し思い出せそうな気もするが、パッと思い浮かぶのはこれくらいだ。僕からすると、道端に生えている雑草と生け花の見分けがつかない。こうやって、日本人独自の感性は失われていくのだろうか。
したがって、僕に「繊細」などというお題で良い文章を求めないでもらいたい。ありきたりなものか、無機定型文くらいしか書けないと思う。感性というのは、人の心を構成する上で、大切な要素だ。素晴らしい芸術に触れることが出来れば、僕の感性も取り戻せるだろうか。