大丈夫だよ。
僕でぜんぶぜんぶ埋めちゃえば、僕だけで満たされる身体になる。
ひとりじゃなくなるんだよ。
ほんと…?と震える君の手をとって満面の笑みを向ける。
ここが、僕のとなりが満たされる場所だと知ってしまえば
きみはもう僕から離れられないでしょう?
ただひとりの君へ #168
いつの間にだろう。
いつの間に俺は透明な涙を流していたのだろう。
誰にも見えない、自分にすら見つけられない透明な涙を。
「ずっと泣いてんじゃん、お前」
最初言われたときは、こいつ何言ってんだくらいにしか思わなかった。思わなかったのに。
自分に対してですら無意識のうちに隠していた涙を見つけて、すくいあげてくれたのは紛れもなくきみだった。
透明な涙 #167
じわじわとあなたのもとへ伸びていくアイビーの葉に、
そっと口づけを落とす。
無垢な笑顔のあなたに、この蔦が巻き付くその日まで。
あなたのもとへ #166
アイビーの花言葉……永遠の愛 死んでも離れない
「ごめんね、愛してるよ」
すっかり冷たくなった君の唇にそっとキスを落とした。
そっと #165
「…外に行ってみたいんです」
白の箱のなか、目を離すとふと消えてしまいそうな少年はきゅっと小さな手で真っ白なシーツを握りしめた。
あまりにも単純なその願いに、胸を突かれる。
あまりにも単純。それはボクらにとっての基準から見た判断にすぎなくて。
この少年にとっては夢のまた夢なのだと。
白き少年は窓の外の夕焼けを切なげに見つめ、やがて視線を落とした。
「なんで僕は生まれてきたんだろうって、たまに思うんです。窓の外の世界を、こうして見ていると」
それはステージの上の演劇を客席に座って、ただ眺めることしかできない、そんな感覚に近いだろうか。
考えてみる。下校中だろうか、今この時間にも外からの子どもの声がここまで届いてくる。ここには、この世界の内側の声しか届かない。
世界に拒絶されているみたいだ。
世界の内側に入れないこの場所に、彼はずっといるのだ。
ボクはなにか言おうと、口を開きかける。でも、言葉は紡いでこなかった。
なにか、とはなんだ。
ボクはなにを言おうとしたの?
言葉が呼吸が詰まっているうちに、夕焼けが入ってきていた茜色の白の箱は、気づくとベールをかぶせたように昏く落とされていた。
「皆、生きることが正しいといわんばかりの口調なんです。じゃあ死んでいるように生きているのって正しいの?生きていることの証明をなにひとつしてないのに。僕はほぼ死んでいるのに。…こんななら死んだほうがましじゃないですか」
必死に探していた。
彼にかける言葉を。
彼が心のどこかで探している生きている意味を見つける支えになれるような言葉を。
視線を窓の外の暗い世界に投げた彼が、ふと消えてしまいそうで、とっさに踏み入れていた一歩。
向こうを向いていた彼は、触れた体温にちいさく反応する。握った片手は思っていたより冷たくなく、彼がここにいることを証明しているようだった。
驚いて固まっている彼の片手をそっと両手で包み込む。
こうしよう、と意識したわけではなく、なにもわからないまま身体がこころが動いていた。
ようやくこっちを見た彼は、綺麗な色素の薄い瞳を震わせていた。
「っ、…、あれ、なんで…っ、」
音もなく静かに白いシーツに吸い込まれていった透明な涙。
せきをきったように滑り落ちる涙を拭おうと必死になる彼に、すとん、と腑に落ちたことがあった。
ああ、そうか。言葉なんて二の次だったのか。これだけでよかった。そっと手を握ってあげるだけで。
それだけで氷色の心臓は溶かせてしまう。
少し迷って、彼の頭を引き寄せて、ぽすん、と頭を預けさせる。しばらくすると、押し殺したような泣き声の彼がふるふると震えはじめた。
「…なんで、なんで僕なの…っ、なんで…っ」
声を押し殺したまま声を上げる少年の背中を、暗く染め上げられた白の箱が白み始めるまで、優しくとんとん、とさすっていた。
まだ見ぬ景色 #164