永遠に
永遠に,生きて欲しいと思っていた,人は今認知症になって,暴言を吐くようになった。
永遠に,遊びたいと思っていた学生時代,今は締切に追われている。
永遠は,終わりがないということは,一種の地獄やもしれぬ。だから私は,生きることが法ならばそんなものいらないと考える。動物は,人は自分が生まれるタイミングも,死ぬタイミングも選ぶことが許されていない。国は労働者を無くしたくないのか。死=悪 など誰が決めた。私はただ,法を無くして欲しいだけなのに
永遠なんて悪夢だ。平等なんてない。資本主義だからこそ上下ができる。だが,上下がなければ人は誰にも従わないのも事実。
明日起きたら,夢から目が覚めたら,
「いい日でありますように」
と,祈る日が毎日続く。おそらく,これからも「永遠に」
懐かしく思うこと
ある日の放課後,私は学校から家に帰っていた。いつもは学生達で賑やかな通りが,部活で遅くなった私は1人だった。元々,車も人もあまり通らない道のり。私は1人,ただ帰る。
ふと,空を見上げると,夕焼けが見えた。大きく光を発する太陽に目を奪われて,「カシャ」と1枚写真を撮った。
周りは誰もいない。私だけの,私の特等席。嬉しい気持ちでいっぱいだ。
明日の勇気をくれるのか,与えた分,陽はどんどん落ちてゆく。
「明日も笑えますように」
と,願ったあの日を懐かしく思う。
もう一つの物語
私がもし,もっとずっと前に生まれていたら勉学に励むことができただろうか。
法律がない頃に,私たちの祖先はその多くが農民として学舎に行く機会を失っていたと聞く。だがその中には,その逆境をものともせずに,学ぼうと国を変えようとする人がいるという歴史を私達は知っている。私もそのような中で生を受けたのならば,学ぼうとする姿勢が今より強かったのではないかと考える。
今の私は,夢がなく目標も無い中,「いつか働く」その日に備えている。だが,今まで必死に一つの目標を追いかけ続けたあの人には,決して届くことはないのだろう。もっと早くに,医者になりたい,警察官になりたい,宇宙飛行士になりたい,スポーツ選手になりたいと思えたら,どんなに良かったのか。
いくら,「もし」を言っても何も始まらず,時間だけが過ぎてゆく今日に,私は目標も持って歩むことができたのだろうか。
それでも人生の暇つぶしには「労働」は欠かせない。理不尽が多い可能性もあるが,他者と関わり合いを持たなければ生物として私は死んでしまうのかもしれない。