人生に一度は、どこに着くか分からない電車を
終点まで乗ってみたいなと思うときがある。
そして、終点まで乗って着いた場所を探検したい。
私は、そういうことをするのがとても好き。
友達と行くのではなく、1人で自由に行きたい。
音楽を聴きながら景色を見て、電車に揺られたい。
これらの想像は私に限界が来た時によく思うこと。
「変だと思われないようにしなきゃ」
私はこれを意識する度、とてもストレスを感じる。
多様性を認めようと言う割には、みんな必死で
自分の他とは違う個性や、真の意見を隠す。
みんな自分を抑圧する。
みんながするから、みんなと逆に正直に振る舞えば
なぜか浮いてしまう。
どうしてこんなのが出世術なのか。
こんなののどこが出世術なのか。
こんなので出世してどうなるのか。
どうして周りに合わせるために
個性を抑えないといけないのか。
自分に正直に生きただけで
どうして自分の居場所がなくなるのか。
心からこの出世術を使う私を美しくないと思う。
身の保身のために、私が美しくなれない出世術を使う
屈辱とストレスはとても大きい。
その出世術から逃れるために
たまに
私のことを1mmも知らない人達がたくさんいるところへ
どこ行きか分からない電車を終点まで乗って、
どこか分からない場所で誰の目も気にせず、探検したい。
と昔から思うことがある。
一時的な解決でしかないし、
時が経てば、また、出世術を使わなければいけない
元の場所へ帰らないと行けないから
もっといい方法は無いものかなと日々考える。
上手くいかなくたっていいって
思ったり、言ってくれる人ばかりならいいのに。
そういう優しさを使う人も分けないで欲しい。
自分にとって有益な人には優しくするとか
無益で邪魔だと思う人には優しくしないとか
本当に視野が狭くて、心も狭くて、幼稚だと思う。
どうしてそういう人が多いんだろう?
相手の気持ちを考えずに
どうして自分の気持ちばかり考えた行動をするの?
周りにとって有益な人の失敗は許されて
周りにとって無益な人の失敗には厳しいのが世の中?
上手くいかなくたっていいよって言われるのは、
いつも周りにとって有益な人だった。
無益な人に優しくする人は少なかった。
無益な人はそんな酷いことをしないのに。
そんなことが暗黙のルールになっている環境を見たことがあるけど、本当に可哀想だった。
中心のリーダーのような人物がいて
それに必死について行こうとする人たちがいる。
「自分は貴方にとって有益だよ!」
というのを、毎日必死でアピールしていた。
無益になると、自分の居場所が無くなるかもしれない。
そんな惨めな思いはしたくない!
私はその環境が苦手だった。
中心の人物に、尊敬できる部分は無い。
話すのが少し上手、気に入らなければ無視、偉そう。
どうしてみんなそんな人に必死になってしがみつくのか。
どうしてその人の基準に沿って生活しないと
居場所が無くなるのか。
それは、その環境のリーダーが
「上手くいかなくたっていいよ」を言う相手を
選ぶ人だったから。
そんな一言で、有益か無益か決められるなら
もう洗脳でもいいから、
「上手くいかなくたっていいよ」
を思ったり言う人ばかりにして欲しい。
私は無益な人間じゃないのに無益だと言われるのが
嫌なわけじゃない。
ただ不平等を正したいと思っただけ。
人は平等に扱われるべきだと思う。