■澄んだ瞳
それは貴方の生き様を映す鏡。誠実に、手抜かりなく、惜しみなく。そして、子どものような好奇心のひとさじと。
そんな瞳に、いつだって一瞬で心を持っていかれてる。
■お祭り
人混みが苦手なわたしは、今よりずいぶんと浴衣が似合ったであろう年頃の時にお祭りなるものによりつくことをしなかった。ごくたまに「デート」がしたい人に誘われて足を運んで、ずいぶんと疲れて帰ってきたことを思い出す。
あれから●年の月日が流れ、わたしは人間の子の親になった。子どもとは、お祭りにわくわくするものらしい。そんな子の手をひき、お祭りに行くようになった。ヨーヨーを釣り、的に狙いを定め、綿あめで口まわりをべとべとにしながらにこにこと笑う子の姿を見ていると、意外にも周りの人混みはさほど気にならない。(疲れて不機嫌になった子をいなしながら帰る道は中々の試練ではあるが。)
お祭りに足を運ぶようになる、それもまた、大人になるということなのかもしれない。
■神様が舞い降りてきてこう言った
「ぼくは見てるよ、すみずみまでよく見てるよ。」
神様なるものはこの世の不条理を正しはしないし、悪に裁きも下さないし、失われるべきではなかった命を助けてくれることもない。でも恐らく確かにそこにいて、ただひたすらにすべてをくまなく見ている。そういうものなのかなと個人的には思う。
■誰かのためになるならば
誰かのためにと言いつつ、誰かのためになりそうなものの中から結局自分がやりたいことを慎重に選んで行っているだけだったりする。あくまで、私の場合だが。
■鳥かご
生まれて初めてお付き合いした人から初めて贈られたプレゼントは、鳥かごに入った鳥モチーフのネックレスだった。確か、「これは君だよ」という趣旨のコメント付きだったと思う。「そのままずっと私をかごにつかまえていてね♡」的な返しができればもっと長くその人との恋愛を楽しめたのかもしれないが難しかった。そもそも私は生き物としての鳥が苦手であり閉所恐怖症なのだ。
どれだけ見た目が麗しくても、好きで好きでたまらなかったはずの気持ちも、光の速さで冷める場合があることを実感した例である。