明日地球がもし滅亡したら。
明日もし事故にあって自分が死んでしまったら。
今起きているイライラもモヤモヤも悩みも全てが小さなことに思えるのだろう。
走馬灯の片隅にもならないのだろう。
そう思うと、今の苦しみもちっぽけに思えてくる。
苦しみや悩みを抱くこの感情も密かな思いにして、楽しむことに励もうと思えてくる。
私が小学生だった頃、中休みとお昼休みはクラス全員でドッジボールをするという決まりがありました。
私は活発ではない方でしたから、それはそれは嫌で仕方ありませんでした。
休みの時間は読書をしている方が私には合っていたのです。
なので、私はお昼休みに活動する図書委員に入っていました。
いつしか、私は担任である老いた男性の先生から言われました。
「あなたはいつも皆と遊ばず、図書室にいますね。もう少し協調性を磨いたらどうかな?」と。
私は何故したくもないドッジボールをわざわざ休み時間にしなくてはならないのか、自分の嫌いなことをみんなに合わせて楽しそうにすることが正しいのか。子供ながらにずっと疑問で仕方ありませんでした。
それからというもの、私は休み時間がくるのが億劫でたまりませんでした。
協調性、同調圧力。田舎では切っても切り離せないものでした。
成人し社会人になった私から、幼少期の自分へかける言葉があるとしたなら、私は周りの意見なんて気にせず好きに遊べばいいと言うでしょう。
周りに合わせることだけが全てじゃない。自分の意思、芯を持って生きていいと。
自分へ振りかざした大人のエゴなんて遠く…遠くへ投げ捨てなさいと私は語りかけたい。
今朝、日の出と同時に私は今年の抱負を考えた。
長編小説を書いて投稿しようと。
物は試し。やってみるしかない!
春は一緒にお花見に行こう。
夏は一緒に海に行こう。
秋は一緒に紅葉狩りに行こう。
冬は一緒にイルミネーションを見に行こう。
ずっとずっと一緒にいよう。
街はイルミネーションでクリスマス一色。
人々は幸せそうに光輝く並木道を歩いていく。
誰ひとりとして俯いてる人は居ない。
寒く澄んだ空気がイルミネーションを一段と輝かせる。
イルミネーションの輝きに負けないくらい、人々の笑顔も輝き放っている。
クリスマスは人を幸せにする光のマジックなのかもしれない。