私の部屋に置いたままの荷物を取りに戻ったら、その足で実家に帰省する予定だという君の背中には、少し雪が積もっていた。相変わらず気遣いという言葉を知らないようで、私のアパートの廊下には雪が舞う。コートも脱がないくせに、足音だけは遠慮がちなところを、すごく「らしいな」と思う。廊下を抜けて迷いなく私の寝室に入るやいなや、「あった」とほんのり上ずった声を上げた。くるりと振り向いて、「この本、作者のサイン付きだったから」とホッとしたような三日月の目。本の横には、こうなるとは露ほども思っていなかった頃の二人が屈託なく笑っている写真立てを飾っておいたのに、君は目もくれず、また元来た道を歩き始めた。靴を履く君の肩に揺れる雪が、もう透明なしずくになっている。雪と雫の関係にぼんやりしていると、君が「じゃあ、良いお年を」と告げつつ扉をするりと抜けて消えていった。あたためていた私のさよならが、年末のあいさつに負けた瞬間、もうどうしたらいいか分からなくなって、ただうずくまって泣いた。
バーで面白い人に出会った。私とは正反対の人で、もう二度と会って話すことなんかなさそうだと思ったから、何でも話した。顔が良いから、どこへ行ってもちやほやされること。でもその分、話したことのない誰かにすら嫌われてしまうこと。だから友達がほしくて1人でバーを訪れては、その度に誰かにお持ち帰りされていることも。その人は私のナルシストネタを面白がってくれて、誰とでも寝れちゃうような私のゆるい頭と股に戸惑いつつも、笑ってくれた。ずっとあたためていた自己愛に喜んで笑ってくれたことが嬉しくて、何度も電話をかけた。そうしたら、はじめて同性の恋人ができた。彼女のことをずっと友達だと思っていたからびっくりしたけど、生まれて初めて、友人から恋人に昇格できた気がする。
みかんの筋を丁寧にとる、あの繊細な指先がとても好きだった。白くて少し骨ばっている、冷たい手。みかんを剥くにはもってこいの手だ。みかんを美味しく食べるためなら、我慢強くて器用で優しい手になれるのに、と無意識でため息をついたら、「それやめろよ」とほんのり怒気のまじった声が飛んできた。みかんに負けた女は、一体何になら勝てるんだろう。そう思いながら、まだ筋のついたみかんをそろりと盗んで、そっと食べた。
手袋を片方なくした。ずっと昔のまだ付き合いたてだった頃、同じようなことがあった。なくして落ち込んでいた私に、「手を繋いでいれば大丈夫だよ」と笑ってくれたあなたは、一体年月の果てにどこへ行ってしまったんだろう。返事の言葉も、声音も、表情すらも思い浮かぶようになってしまった私は、もうあなたに手袋をなくしたと報告することも出来ない。なくしてしまった手袋は、どこかで拾われて、暖かい場所で私がやって来るのを待っているのだろうか。それとも、私の手にあるもう片方の手袋と同じで、まるで大切なものでもなんでもなかったかのように呆気なく、捨てられたりしてるんだろうか。