始まりがそもそも少しおかしかった。
記憶はないが、朝一緒のベッドにいた。あるだろ? それくらい。
とりあえず好みだったので付き合った。
そこで一つ問題ができた。
……彼女の名前がわからない。
完全に訊くタイミングを逃してしまった。
向こうはこちらの名前をちゃんと認識しているし、今更訊けない。困った。
だから、彼女宛の郵便物をこっそり見た。
――『鈴木 瑠璃』。
すずき るり!
これが彼女の名前。ようやく知ることができた。
そして、とうとう彼女を名前で呼んだ。
……怒られた。
「『るり』って誰?」と――。
どうやら『瑠璃』と書いて『らぴす』と読むらしい。
わ、わかるかぁー!
浮気を疑われるし(いや読み間違いって気付いてほしい)、そもそも名前を覚えていなかったのかと怒られるし(それはそう)、最悪だ。
もっと読みやすい名前をお願いします……。
『君の名前を呼んだ日』
空が灰色に染まっている。そこから、涙がぽたぽたと零れている。温かく、柔らかな風と共に地面へと落ちていく。
その音がやさしい音楽のように聴こえる。
昔はこんな日なんて嫌いだった。暗くて、心まで沈んでいきそうで。
あの日は、適当に音楽を流していた。なんでも良かった。何か心が晴れるなら。
その中に、あの曲があった。
明るい曲ではなかった。まさしく今の状況を歌っているような、そんな歌。でも、優しいメロディーだった。
その歌を雨音と共に聴いていたら、なんだか雨の日もまとめて好きになってしまったんだ。
それから、こんな雨の日には、あの音楽が頭の中に、雨音と共に聴こえてくるようになった。心地良い気分だ。
『やさしい雨音』
魔王を倒す旅を続けるパーティーがあった。
その中に、歌が下手な吟遊詩人がいた。その歌声は敵だけでなく仲間の耳も壊すほど。
しかし、本人はその事実に気付いていないのだった――。
「思ったんだけど、私って、歌だけじゃなく、魔法が使える吟遊詩人じゃないですか」
「うん」
「なので、魔法と歌を融合させたら、どちらの効果も発揮できるのではないかと!」
「殺傷能力が上がるな」
「え?」
そんなわけで、吟遊詩人は練習を始めた。
仲間はその様子を眺めている。
「……なんか思ったよりダメージ来ないな。一応耳栓用意しといたけど、まさか必要なくなるとは」
「歌聴いても平気ですね。というか、歌が聴けるレベルになってる」
「とうとう音痴を克服したのか? マジで!?」
吟遊詩人が練習を止め、こちらへとやって来た。
「いやー魔法に集中しちゃって音程取れなくてだめだわー」
「音……程…………っ!?」
『歌』
そう、そっと優しく、包み込んで。
全てを受け入れようとしなくていい。
少しでいい。溢れ出ないように、ぎゅっと。
そうしたら、燃えるくらいに熱して。
はい! 最高の餃子の出来上がり!
『そっと包み込んで』
「今日は『昨日と違う私』です。これを課題に制作をしてください」
テーマを元に作品を作る。それは、文学作品でも、芸術作品でも、どんなものでも構わない――。
毎日そんな宿題を出されています。理由はと言うと、感性を磨く為だそう。
今日のテーマは『昨日と違う私』。
さて、どんな作品を作ったらいいかしら。悩みながら自室へと戻ってまいりました。
ここは魔法学園の寮の一室。一室と言っても、庶民の家よりも広い部屋です。
そして私は魔法学園に通う令嬢。
精神と魔法は密接な関係にある。感性を磨くことは、魔法を扱うにあたり重要な役割を果たす。
だから私はこの課題にも一所懸命に取り組むのです。
悩んで悩んで、決めました。
黒魔術を使い、昨日と違う私になると!
黒魔術――これは悪魔を召喚して、願いを叶えてもらう魔法です。ただし、こちらの願いと引き換えに何かをお願いされるのですけど。
そんな魔法を使っていいのかって? まぁこれも魔法ですし、結果的に魔法を扱うものの為になるのであれば、許していただけるでしょう。
というわけで、使いました。黒魔術。
代償は近くにいる人間の寿命数年分。
あら、そんなものでいいんですの? 私が直接代償を支払わなくていいなんて、ツイてますわね。
明日目が覚めると変わっているそうです。さて、どんな私に変わってしまうのでしょうか。若干ウキウキしながら眠りに就きました。
夢の中の私は、この世界じゃない場所にいました。
そこは日本という国で、私は令嬢でなく、OLというものをやっていました。
乙女ゲームと呼ばれる、格好良い殿方と恋愛関係になる遊びが、小さな板に映っています。
その画面には見覚えのある人物が映っておりました。
「私――悪役令嬢!?」
思い出しました。
これは私の前世。トラックに跳ねられ、この乙女ゲームの世界に転生したのです……悪役令嬢として。
たしかに、こんな前世を思い出せば、昨日とは違う私になってしまいます。
朝です。
どうしましょう。悪役令嬢なんて、困りました。このままではお約束通り殺されてしまうかもしれません。
とにかく、顔を洗ってすっきりさせてから考えましょう。
そう思って鏡を見れば、
「あれ? え、これ、私じゃない? ヒロイン――!?」
そこに映っていたのは、悪役令嬢の自分ではなく乙女ゲームのヒロインの姿でした。
次の瞬間、乱暴にドアが開かれました。
「どういうこと!?」
ドアを開けたのは私でした。いえ、きっと、私の姿をしたヒロインなのでしょう。
つまり、
「私達、入れ替わってる~!?」
「なんで私が悪役令嬢になってるの!?」
あれ、もしかして、これ、ヒロインも前世持ちってやつかしら?
これが昨日の黒魔術のせいだとしたら、ヒロインも巻き込んでしまって申し訳ないことをしてしまいました。
「まさか昨日の黒魔術のせい!?」
私の姿をしたヒロインの口から、思い掛けない言葉が飛び出ました。あなた、ヒロインなのになんてことやっているの。人のことは言えないけど。
「本気で課題に取り組んでただけなのに!」
「まぁ、奇遇ですわね。私もです。黒魔術を使ったらこんなことに」
「じゃああなたのせいってこと!?」
「さぁ……? そちらのせいかもしれませんし」
大体、私は前世の記憶が戻っただけでも充分だったのに、まさか入れ替わりまで起こるなんて、とても私の黒魔術のせいだけとは思えませんもの。
「でも、これで課題はクリアですわ」
「え?」
「『昨日と違う私』。私もあなたも間違いなく昨日と違う私になっています。だから、課題はクリアですわ」
「こんな時まで課題のこと?」
「でも、あなただって課題に本気だったでしょう?」
「そうだけど……今後どうする気?」
「それは、また黒魔術使えばいいんじゃないでしょうか?」
「名案」
なんだかんだで、私達は気が合うみたいです。
これをきっかけに、ヒロインとは前世の話をしたり、恋愛の話をしたりして、仲良くなることができました。
そして、前世を思い出した私は、周りの人への対応も変わり、その結果殺されることもなく、平穏に暮らすことができました。
めでたしめでたし、ですわ。
『昨日と違う私』