【雨の香り、涙の跡】
帰宅した娘は何も言わなかった。
ただ雨の香り、涙の跡だけがすべてを物語っていた。
「フラれちゃった……」
それだけ言うと泣き出した。
私は娘をぎゅっと抱きしめる。
「泣きたいだけ泣けばいい」
そう口にしながら私は笑っていた。
娘の彼氏は大きい女性が好きだった。
だから娘は体重を増やした。
四十kgを八十kgに。
私は見ていられなかった。
娘に何度も分かれるよう頼んだ。
けど、聞いてもらえなかった。
だから彼氏に嫌がらせを続けた。
ようやくその成果が実を結んだ。
「もっといい人を探しなさい」
体型より中身を見てくれる人を。
【糸】
こんな糸を掴んだからといって、
チャンスが来たとは思ってないさ。
けど、努力はした。
だから大丈夫だと思うんだ。
そうは思わないかい、お釈迦さま?
蜘蛛の糸を切られる前に登りきって、
あなたを消せば。
【届かないのに】
どれだけ書いても。
どれだけ売れても。
この物語はきっと。
君には届かない。
凡人と言われながら。
来る日も来る日も書き続け。
ようやく小説家と名乗れる日。
君は遠くへ行ってしまった。
秘めた想いは秘めたまま。
君には届かないのに。
今日も僕は書いている。
【記憶の地図】
おかしい。
どうしてこの先が行き止まりなんだ?
昨日までは確かに続いていたのに。
おかしい。
一日歩き回ってこの街の地理を頭に叩き込んだ。
それなのに。
記憶の地図にないことばかり起きている。
この街は変化している。
少しずつ、けど確実に。
いつになったら出られる?
そういえば。
ずいぶんと飲まず食わずで歩き回っているような。
あれ、俺はこの街に。
いつからいるんだ?
【マグカップ】
「コーヒー入れてきたから、適当に取って」
そう言って私はテーブルの上にお盆ごと置いた。
オフィスにいたみんなが集まってくる。
それぞれがマグカップを取っていく。
「ミルクある?」
先輩に言われて私は慌てて給湯室に戻った。
コーヒー嫌いのあの人が口にしないのを確認して。
あとどれくらいだろう。
あの人が苦しみだすのは。
毒入りクッキーはみんなで食べて。
解毒入りのコーヒーを飲んで。
早く早く。
この世界から消えてくれ。