高校生までずっと手書きの手帳とカレンダーを使っていた
毎年友達と新調しに行くのが楽しくて、ついでにペンやシールやマスキングテープも買って、年明けは良く文房具屋に何時間もいたものだ
テストの予定や、遊ぶ予定、何もしない日も何かを書いた
手帳とカレンダーが私の予定で埋まっていくのが好きだった
スマホで予定を管理するなんて、断固として拒否!
ありえない!
と思っていたけれど、大学に入ってまもなく、私の鞄の中から手帳が消え、部屋からカレンダーが消えた
その代わりに私の手元に残ったのは、この小さな現代文明だった
便利で、軽くて、なんでも管理できて、でもその代わりに、毎年の楽しみを1つ無くした
この間文房具屋コーナーに立ち寄った時、少しだけ、ほんの少しだけ、また制服を着てそこに何時間も居たくなった
-カレンダー-
毎日、今日が終わるのが惜しいなと思う
今この時が過去にすり替わる瞬間が惜しくて、なんとなくいつも未来を考える
そしてまだ起きてもいない事柄に対して不安になるのです
-喪失感-
丸くて大きな垂れ目はパパ譲り
大きな手のひらはママ譲り
昔話を人に話す癖はおばあちゃん譲り
引き出しに色んなものを詰めるのはおじいちゃん譲り
同じものを3つ買う癖は妹たちがいるから
なんでもおもしろ話に変えちゃうのはM子の影響
写真が好きなのはI子の一途な感受性に惹かれて
ギターを弾くのは先輩という師匠がいるから
沢山の要素に囲まれて、世界に1人だけの私がいる
-世界に一つだけ-
私は中高6年間、新体操部に所属していた
新体操には細かい評価基準が沢山ある
背筋、指先、足先、軽やかさ、ステップ、柔軟、表情、衣装、体の動き、リズム感、手具の使い方…
“1分半の演技の中でどれだけ美しく踊るか"
それを競うのが新体操という競技だ
新体操の大会は半年に1回しかない
選手は1分半の演技を半年間かけて練習する
とにかく痛く、とにかく厳しく、とにかく辛く
しかし楽しく、軽やかに
美しく踊るには日々耐えなければいけない痛みがある
しかし、だからこそ美しく、その美しさを、痛みを評価する価値がある
人生もまたこの一連の美しさに通ずるものがある
だから私は踊るように生きる
-踊るように-
少し前まで美味しいと思っていたものが、なんとなく違う味に感じて、あの時の私から一定の時がたったのを感じた。
それは、美味しいものをたくさん食べて、美味しい時間をたくさん過ごした中で、少しずつ"一番"が更新されて来た証拠なのだ。
嬉しくもあり、少し寂しくもあった。
ずっと続くと思っていたけれど、あっさりと、次々に、その日は過ぎてしまうし、思い出も味も蓄積されてゆく。
大好きは大好きのままでいたいけれど、いつまでも思い出に閉じこもることはできなくて、味も、人も、私自身も、未来の懐かしさの中で生きているのだと思う。
それでも、やっぱり好きなものは好きでいたい。好きでいるための努力をしたい。
素敵な白髪のおばあさんになった時に、またこの味を美味しいと思えるように。
-時を告げる-