丸くて大きな垂れ目はパパ譲り
大きな手のひらはママ譲り
昔話を人に話す癖はおばあちゃん譲り
引き出しに色んなものを詰めるのはおじいちゃん譲り
同じものを3つ買う癖は妹たちがいるから
なんでもおもしろ話に変えちゃうのはM子の影響
写真が好きなのはI子の一途な感受性に惹かれて
ギターを弾くのは先輩という師匠がいるから
沢山の要素に囲まれて、世界に1人だけの私がいる
-世界に一つだけ-
私は中高6年間、新体操部に所属していた
新体操には細かい評価基準が沢山ある
背筋、指先、足先、軽やかさ、ステップ、柔軟、表情、衣装、体の動き、リズム感、手具の使い方…
“1分半の演技の中でどれだけ美しく踊るか"
それを競うのが新体操という競技だ
新体操の大会は半年に1回しかない
選手は1分半の演技を半年間かけて練習する
とにかく痛く、とにかく厳しく、とにかく辛く
しかし楽しく、軽やかに
美しく踊るには日々耐えなければいけない痛みがある
しかし、だからこそ美しく、その美しさを、痛みを評価する価値がある
人生もまたこの一連の美しさに通ずるものがある
だから私は踊るように生きる
-踊るように-
少し前まで美味しいと思っていたものが、なんとなく違う味に感じて、あの時の私から一定の時がたったのを感じた。
それは、美味しいものをたくさん食べて、美味しい時間をたくさん過ごした中で、少しずつ"一番"が更新されて来た証拠なのだ。
嬉しくもあり、少し寂しくもあった。
ずっと続くと思っていたけれど、あっさりと、次々に、その日は過ぎてしまうし、思い出も味も蓄積されてゆく。
大好きは大好きのままでいたいけれど、いつまでも思い出に閉じこもることはできなくて、味も、人も、私自身も、未来の懐かしさの中で生きているのだと思う。
それでも、やっぱり好きなものは好きでいたい。好きでいるための努力をしたい。
素敵な白髪のおばあさんになった時に、またこの味を美味しいと思えるように。
-時を告げる-
幼稚園を卒業した時に作ったタイムカプセルを開けた!
16年も前の私が、20歳の私に送った宝物が届いた。
黄色いねんどに沢山のビーズが埋め込んである瓶をこじ開けて中から出てきたのは、沢山の貝殻と小さなバラのろうそく、そして16年前の母からの手紙だった。
16年も経っていたけど、瓶の中はくたびれたろうそくのいい香りがした。
貝殻はきっと、父の実家のジャマイカに行った時に海で拾ったものだろう。
耳に当てたら波の音がした。
母からの手紙には、左利きなのに相変わらず整った母の字で想いが綴ってあった。
『きっと すてきなお嬢さんになっていることと思います』
-貝殻-
目覚ましより1分だけ早く起きた
3.2.1...!で信号が青に変わった
真っ赤な夕日と夕焼け空が見れた
煮卵の味付けがちょうど良かった
道端に綺麗なお花が咲いていた
ふと見上げたら満月だった
もし今日がそんなにいい日じゃなかったとしても
もし明日がいい日にならないような気がしても
ちょっとだけ心が動くことは毎日ある
「これでいい」より「これがいい」
「できない」より「どうしよう」
ちょっとだけ、ちょっとだけ、意識したら、
なんでもない今日も、すごく嫌なことがあった昨日も、
まあいっかって。
"人生"って範囲広く聞こえるけど、半分も記憶にない過去と、今日起きたら始まる一日ですきっと
-些細なことでも-